24.6.2 5月末の朝生を視聴
5月31日の深夜、事実上6月1日ですが、その日に放映された「朝まで生テレビ」を録画で視聴しました。今回のテーマは円安・物価高、ということで、刺激的な議論が続々と展開されました。
ただ、パネリストの方々の高度な議論に感心させてもらったのも事実なんですが、気になったところがいくつかあったので、それを書かせていただきたいと思います。
藤井聡先生をはじめ、消費税を下げたらいいとか、泉房穂さんの言うように、「国民負担率が高すぎるんだから、もっと下げられる負担を下げたらいい」という意見もあるのですが、そのあたりの財政論をもっと深掘りさせてほしかったのです。昨今は財務省の増税路線を批判する風潮も広まっていると思いますが、財務省も必ずしも省益のためだけに増税を唱えているわけではないと思います。周知の通り、日本の財政の特に大きな項目は社会保障費と国債費ですが、増える一方のこういった支出項目に対して、どういう歳入を充てるのか?消費税減税をはじめとする減税を唱える人たちは、そこをもっと詳しく説明してほしいと思いました。
それと、失われた30年の分析の議論となると、日本の経営者がバカだったとか、日本政府の金融・財政政策のやり方がおかしかったとか、日本人同士での自虐論みたいなのがバーッと出てしまいがちになりますが、私からすると、もっとアメリカのせいにしていい部分もあると思うし、身もふたもない言い方をすると、社会構造的・国際情勢的に仕方なかった側面も大きかったと思うのです。
というのも、失われた30年を逆に言うと、高度成長期~バブル期の日本経済が良かったということになります。それは事実、良かったのですが、その時代の日本の経済パフォーマンスが異常だった、という見方をすることもできると思うのです。高度成長期の日本はまず人口が急速に増えており、働き手で悩むことはありませんでした。また、若者が多く、高齢者の少ない社会だったので、社会保障費の圧迫をあまり気にしなくて済む財政構造でした。
それに、金融業界の護送船団方式という言葉に代表されるような、各種のビジネス規制の多い社会だったので、国内労働者の身分がガッチリ守られやすい社会だったと思うのです。
高度成長期から現代にかけて、アメリカとの構造協議はほぼ切れ目なく続いていますが、バブル崩壊以降のアメリカの対日要求が日本経済に与えた影響は特に大きかったと思います。こういう話になると、アメリカが日本をもてあそぶ陰謀論ぽく捉える人も多いかと思いますが、見方によっては、アメリカはグローバル水準の本来の資本主義経済のあり方に、日本を合わせようとしただけ、と見ることもできると思います。株主に利益還元するのが本来の経営の在り方、と言った経営者意識も広まってきたと思いますし、仲のいい会社同士で持ちつもたれつ、という意味でやってきた株の持ち合い等も多く解消されて、むしろM&Aの多い産業社会となりました。経済合理性が尊ばれるようになると、コストカットは当たり前になってくるので、リストラも増えるし、派遣従業員の活用も当たり前になってきます。そもそも経済全体がグローバル化しているので、企業はコストの安い地域を世界中に求めて、海外拠点を増やし、その当然の帰結として国内拠点は減りました。よって日本人労働者の安定的な雇用先も減りました。
そういうグローバル化、自由経済化、といった経済の構造変化の避けられない影響として、日本の経済成長率が低迷している側面も大きいと思うので、日本人同士で「アレがバカだった」と自虐的な議論ばかりしても、精神衛生上、必ずしもよくない気もします。もちろん、分析も大事なので、グローバル化や自由経済化の波になんで日本がもっとうまく乗れなかったのか、そういう議論も必要だとは思いますが。
24.6.2 パート2 5月31日開催の政経学修会イベントについて
さる5月31日に政経学修会主催のイベントに参加してまいりましたので、その感想も書こうと思います。外務官僚と政策シンクタンク・青山社中の共同代表のご経験もあるという伊藤聡先生による、「自身の思いを言語化し政策にするその方法」という講演でした。
まず驚いたのが、外務官僚と政策シンクタンク勤めをご経験されたという一見すると超エリートの経歴からすると想像しにくいような、地域密着型の政策アドバイスを多く手掛けてこられたというお話でした。そして、政治家や行政官といった政策プレーヤーの政治権力の使い方としては、「支配型」と「合意型」の2種類があるが、できる限り政治プレーヤーは有権者との合意形成に力を注ぐべきだということを熱弁されていて、それもとても新鮮に映りました。というのも、「有権者との間に、どうせ大した合意など作れっこない・・・」とタカをくくっている政治家も多いのではないか?と思っていましたから・・・
しかし、政治家と有権者の間に合意ができないと、いい政策もできないし、いい選挙活動にもつながらないという風なお話でした。というか、政治の現場においては、選挙を通じて政策が生まれることが多いのだそうです。政策の柱が固まってくると、選挙チラシも見やすくていいものが出来上がり、街頭演説も上手くなってくるのだそうです。
印象的だったのは、「自分のやりたい政策だけ」をぶつけようとしても、いい選挙活動、いい政治活動には繋がりにくいというお話でした。有権者は社会に対する不満・要望をモヤモヤとした形で抱えており、それが言語化されていないことが多い。だから有権者の不満や要望は目に見える形では、政治家にはなかなか伝わってこないんだけど、「集合的無意識」として世の中に存在している。その集合的無意識をうまくくみ取れれば、有権者との「合意」も得やすくなるというお話でした。仮に自分が高度な専門性を持った人材であるとしても、「専門性」をウリにすれば選挙に受かりやすくなるかと言えば、そうでもないようです。選挙に出るときには、あくまでも「政治家」になり切らないといけなくて、専門性は脇に置いておく、くらいのスタンスがいいのだそうです。有権者とのコミュニケーションはもちろん大事ですが、地元の政治家ともいい関係を築かなければなりません。そのときに専門性を押し出しすぎると、逆にコミュニケーションを取りずらくなることもあるようです。
24.6.24 都知事選のポスター
7月7日投開票の都知事選が近づいてきましたが・・・JR中野駅前の選挙掲示板を見ると、ウワサのNHK党のポスターがビッシリ貼っています。ネットニュースによると、選挙ポスターに意味がないことを訴えるためにあえてこうしてるんだとか・・・?しかし面白いですね。私の母親にラインを送ったら「アホや」「くだらん」と言ってましたが。
中にはこんなポスターもありました。
24.6.30 東京都知事選
政治ブログを書いていると言いながら、マズいなぁ・・・と思っていたんですが、私は東京都知事選の分析が全然できていませんでした。正直、そこまで強烈に興味が掻き立てられる感じもしなかったんで、自分の中で後回しにしたかったんだと思います。ただ、蓮舫さんあたりが出馬表明したあたりから「お祭り」ムードが増してきたような気がして、面白そうだなぁとは思っていました。
ただ、高橋洋一チャンネルの都知事選の回をチェックしてみてちょっとホッとしたんですが、高橋さんいわく、「平均的な東京都民は都知事選に強い興味は持っていない。極端な話、大した仕事はしてくれなくてもいいから、東京をそのまんまそっとしておいてほしい」みたいなことを言われていて、都知事選がよく分かっていなかった自分に免罪符をもらったような、ヘンな気分になりました。
私の意見が世間の政治に影響を及ぼすわけでもないと思うのでハッキリ書きますが、私は石丸伸二さんに投票してきました。石丸伸二さんのファンになったから積極的に投票したくなった!とかではなくて、消去法です。個人的には、小池さんも蓮舫さんも少し苦手な感じがしたんです。石丸伸二さんは最初はすごく期待していて、「世の中を次々に変えてくれる突破力のある人なのかな?」とも思ってましたが、石丸さんの近著を読んでみて「東京をどうしたいか?」のビジョンが全然書かれていなかったので(そもそも都知事選に役立たせる趣旨で出版したわけじゃなかったのかもしれませんが)、「この人は何なんだろう?目立ちたいだけなのかな?」という疑念が膨らんでしまいました。「潔い政治手法が必要だ!」ということばかりが、延々と書かれていたように思います。ただ、政治手法がひたすらドラスティックで、どこの自治体にも刺激を与えてくれる指導者になり得ることは間違いないと思うので、東京都にも刺激を与えてやればいいんじゃないか?と思ったのです。アメリカ国民が「ワシントンに刺激を与えてやれ」と思ってトランプに投票するような感覚かもしれません。東京都は金持ち過ぎて、どんぶり勘定で予算を組んでいる側面が大きすぎる疑いもあると思いますので、石丸さんであれば、もっとキュッと締まった予算を組んでくれて、余った予算を23区や、他の自治体に回してくれるかもしれません。
先述の高橋洋一さんも、石丸さんにはかなり醒めた見方をしているようです。↓
高橋洋一チャンネルには高橋信者がゾゾ~っと集まっているのが普通だったんですが、この回ばかりはコメント欄に高橋ブーイングが多かったんです。つまり、「石丸さんに向かって醒めた意見を言うな!」というクレームが多かったんですね。ネット上で、よっぽど石丸ファンが増えているようです。それもなかなか興味深かったです。
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