9条再考②

改憲論議

ここ数日、9条についてもう一度アレコレと考えておりまして、自分の中ではなかなか勉強できたつもりでおります。ついさっき、自分が昔書いた憲法の章、それも芦田修正の箇所を読んでいて、こんなに正確に書けていたのか!?とびっくりしました(汗)多分何か立派な本か何かを読んでいて、そのエッセンス部分をほとんど書き写していたんじゃないか、と思います(汗)

また、9条再考の1番目の投稿記事の内容は1週間くらい前に作っていたんですが、そこに掲載しているChatGPTの解説が、最初に思ったよりはるかによく書かれているということに驚きました(汗)最初に気づけよ、という話ですが(汗)やはりAI、恐るべしですね。政治概念の分析も超一流のように見えます。

今回勉強しなおして、自分の中であらためて気づいたことは、

①最小限という言葉は9条の条文には出てこないが、政府解釈においては「最小限」という考え方がかなり強力に効いている、ということ。

②芦田修正によって、「1項の意味としては侵略戦争を否定しているだけだから、2項においても、侵略戦争のための戦力を否定しているだけであって、自衛のための戦力は当然に肯定される」という解釈が自動的に導かれるわけではない、ということ。

③在日米軍については砂川判決があるから、憲法9条では在日米軍に触れなくてもいいことになっている。

というあたりがポイントでした。

①について、例えば昭和47年11月13日の内閣法制局長官の予算員会の発言録に、

「憲法9条第1項で自衛権は否定されておりません。その否定されていない自衛権の行使の裏付けといたしまして、自衛のため必要最小限度の実力を備えることは許されるものと解されまするので、その最小限度を超えるものが憲法第9条第2項の戦力であると解することが論理的ではないだろうか。

このような考え方で定義をしてまいったわけでございますが・・・(後略)」

このような発言が記録されています。他にもたびたび、予算委員会、国会答弁等で議員なり政府関係者なりが、同様の発言をしてきたようです。そういう国会答弁、政府解釈の積み重ねがあるからこそ、現政府も、日本が自衛権を持つことは当然と考えているし、自衛隊の存在も許容されると解釈しているようです。また、PKO活動などで海外に出て行った自衛隊に武力行使が固く禁じられているのも、海外の現場で友軍の見方をして武力行使に及んだりすると、それは「必要最小限度を超えた実力を行使した」と見なされるから、のようです。

②についてですが、個人的にはここがかなりビックリしたのですが、9条2項について、芦田修正を積極的に評価する見方があります。1項で「国際紛争を解決するための武力行使を放棄する」とありまして、これは「侵略戦争の放棄」を意味するから、2項においても、「侵略戦争のための戦力は保持しない」→「自衛戦争のための戦力は保持しうる」と解釈できる。この解釈のために、芦田修正の「前項の目的を達するため」という文言が、1項と2項を繋げるためによく効いている、とする考え方です。

しかし、上記の考え方は、政府内でも、憲法学会でも、主流ではないらしいのです。

1項2項併せても、戦力の保持は認められない、例え自衛のためといえども、戦力の保持は認められない。という解釈が政府の主流なのだそうです。そしたら自衛隊の存在をどうやって認めるのかというと、あれは「戦力」ではなく、戦力以下の必要最小限の「実力」であり、自衛隊はそのための「実力組織」なのだ、という解釈のようですね。どうも言葉遊びをやっているだけ、のようにも見えますが。

どっちにせよ、1項にあるような、戦争放棄の文言は、イタリアの憲法など、いくつかの諸外国の憲法でも使われていて、どの国も自衛権まで否定しているとは解釈していないようです。しかしそれであれば、1項だけで「侵略戦争の放棄」「自衛はできる」の意味は満たされるので、2項の存在意義は(あんまり)無い、という考え方も成り立ちうるのです。2項削除論者の方が時々おられますが、こういう考え方のもとにそういう立場が成り立っていると考えられます。

また③、ここも個人的にはあまり納得できないのですが、有名な砂川判決で、最高裁が在日米軍について、憲法判断を避けた、という事例があります。そのときから、憲法9条で在日米軍について触れる必要はない、という憲法学会のコンセンサスが出来上がっているようです。日本が他国から攻め込まれたときは、9割以上の確率で米軍が防衛の加勢をしてくれると思いますので、それであれば在日米軍は日本にとっての「戦力」じゃないか、9条で在日米軍のことも説明できる文言を探して付け加えるべきじゃないか?と個人的にはかなり疑問に感じます。

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