南極条約を国際会議で改正してさ、南極に原発を建設できるようにして、南極の原発から、世界各国が電力供給を受けられるようにするべきじゃないかな?
いいね、その発想。スケールがでかい。地球規模でエネルギーを考えようとする態度は、文明として健全だ。だが同時に、現実の物理と政治は、ロマンよりもだいぶ手強い。
まず前提。
南極条約は、南極を「軍事利用しない・核爆発をしない・放射性廃棄物を捨てない」という原則で守っている。さらに1991年のマドリード議定書で、鉱物資源の商業開発も原 則禁止。つまり「科学のための大陸」という扱いだ。原発建設は、環境リスクの観点からこの精神とかなり衝突する。
でも仮に「条約を改正できた」としよう。ここからは思考実験だ。
最大の問題は物理だ。南極は人が住んでいない。電力は“その場で使う”のが基本で、遠くに送るとロスが出る。高電圧直流送電(HVDC)という技術で長距離送電はできるが 、南極からオーストラリアや南米まで海底ケーブルを何千キロも敷く。建設・維持コストは天文学的。氷山が動き、海氷が押し寄せ、海底地形も厳しい。修理船を出すだけで国家 予算級だ。
しかも、原発は冷却水が必要だが、南極は海はあるが氷に覆われる。設備が凍結・劣化するリスクが高い。チェルノブイリや福島の教訓を考えれば、事故時に迅速な救援ができな い立地はリスク管理上かなり不利だ。原発は「安定した社会インフラ」の上に乗っかる技術だ。南極はその真逆、地球で最も過酷な環境の一つだ。
政治もややこしい。南極は領有権主張が凍結されているだけで、消えてはいない。もし巨大エネルギー拠点になれば、各国の思惑が雪崩のように出てくる。エネルギーは地政学だ 。たとえば、北極圏ですら資源開発をめぐって駆け引きが続いている。南極で同じことが起きない保証はない。
エネルギー効率という観点で言えば、太陽光は赤道付近が有利だし、風力は沿岸や洋上が有利。電気を作る場所は、消費地や既存インフラに近い方が合理的だ。むしろ南極は「巨 大な冷却庫」としてデータセンターを置く、といった方が理屈としては近い。だがそれも送電や通信インフラの壁にぶつかる。
ただし、ここで面白い問いがある。 なぜ「地球のどこか一箇所で発電して、世界に供給する」という発想が出てくるのか。 それはエネルギーを“中央集権的に管理できる資源”と見ているからだ。
現代のエネルギー潮流は逆方向だ。分散型。小型モジュール炉(SMR)や再エネ、蓄電池、需要側調整。つまり「たくさんの小さな拠点」がネットワークでつながる構造だ。こ れはインターネットに似ている。単一の巨大サーバーより、分散クラスタの方が強い。
南極に原発を置くアイデアは、どちらかというと20世紀的な「巨大プロジェクト文明」の発想だ。ダム、巨大製鉄所、宇宙基地。ロマンはある。だが21世紀の技術は、むしろ スケールを細かく刻む方向に進んでいる。
それでも、思考実験としては価値がある。 もし人類が本当に「地球全体を一つの文明単位」として統治できるなら、南極エネルギー基地も理論上はあり得る。そのときはもう、国際政治はかなり進化しているはずだ。国家 主権の競争より、惑星管理が優先される段階。SFの領域だが、文明の方向性を考えるには悪くない。
巨大中央発電所モデルか、分散ネットワークモデルか。 その選択は、単なるエネルギー技術の話ではなく、「人類がどんな文明像を選ぶか」という哲学の問題でもある。
南極は今のところ、人類が「ここは競争しない」と決めた希少な場所だ。その実験を壊すかどうかは、エネルギー効率以上に、文明の成熟度を問う話になる。
原発はどこの国の人も、人が住んでいる地域の近くに作りたくないわけでしょう?だから南極に作った方が早いと思ったんだよ。南極なら人が住んでいないから、核廃棄物処理施 設もすぐに作れるはずだよ?
その直感はわかる。 「誰も住んでいない場所に置けば安全じゃないか?」という発想は、かなり自然だ。人類は昔から“厄介なものは遠くへ”という解決法を選びがちだ。
だがここで、冷静に物理と倫理を分解してみよう。
まず、原発のリスクは「人が近くにいるかどうか」だけでは決まらない。 事故の最大の問題は、放射性物質が拡散することだ。南極は無人だが、海流と大気循環はつながっている。南極海は世界の海流を駆動する重要なエンジンだ。そこで大規模事故が 起きれば、長期的には地球規模の影響が出る可能性がある。無人=無害ではない。
次に廃棄物。
高レベル放射性廃棄物は「数万年単位で管理」が必要だ。南極に置くとして、誰が数万年監視する?国家は百年単位でも形を変える。南極条約体制のような枠組みが、文明の寿命 を超えて持続する保証はない。
そして条約の話になる。
南極条約は、核爆発と放射性廃棄物の持ち込みを明確に禁じている。さらにマドリード議定書は環境保護を徹底している。 この枠組みは単なる技術ルールではない。「ここだけは資源争奪戦にしない」という政治的合意だ。 ここが本質だ。 南極は、地球でほぼ唯一、主要国が「主権を凍結して共同管理する」と決めた実験場だ。もしそこをエネルギー・廃棄物拠点に変えれば、「じゃあ他の資源も解禁しよう」という 連鎖が起きる可能性が高い。石油、レアメタル、漁業…ドアを一度開けたら、閉めるのは難しい。
それに、実務的にも簡単ではない。
氷床は動いている。数万年単位で安定した地層を探すのは、実はかなり難しい。永久凍土も温暖化で不安定化している。廃棄物処分に理想的なのは、地質的に安定した岩盤だ。南 極は氷が厚すぎて、岩盤にアクセスするだけで巨大工事になる。
もう一つ。
「人が住んでいないから置ける」という論理は、倫理的に微妙だ。南極は人類全体の共有財産とされている。共有地にリスクを押しつける構図にならないか? これは“裏庭にゴミを捨てないが、空き地ならいいだろう”という心理に似ている。だが空き地も地球の一部だ。
面白いのは、原発を嫌う感情は多くの国で共通しているが、同時に電気は欲しい。ここに文明のジレンマがある。 解決策は「遠くへ追いやる」より、「リスクをどう減らすか」に向かっている。小型モジュール炉、核融合研究、廃棄物の再処理、分散型電源、需要側調整。つまり技術と制度で リスクを下げる方向だ。
あなたの発想は、問題の核心を突いている。 人類は危険な技術を使いながら、それをどこに置くかで悩んでいる。 だが南極は今のところ、「争わないという実験」をしている場所だ。そこを“便利なゴミ箱”にするかどうかは、エネルギー問題以上に、人類の成熟度の問題になる。
文明は、何を開発するかより、「何をあえて開発しないと決めるか」で測られることもある。南極はその象徴だ。


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