自由民主党

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自民党とは?

自由民主党は言わずと知れた、日本を代表する国民的政党である。海外の政治学者から研究対象として注目されることが多いとも言われる、独特の強さを持った政党。
1955年に日本社会党の台頭を危惧した自由党と日本民主党が合併してできた。そしてこの後社会党と約40年にわたって保革対立の構造を続けたことを55年体制と呼んでいる。
まず、自民党のHPで確認できることだが、「党の性格」を見ていただけないだろうか。
・一、わが党は、国民政党である
わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。
・二、わが党は、平和主義政党である
わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。
・三、わが党は、真の民主主義政党である
わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。
・四、わが党は、議会主義政党である
わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。
・五、わが党は、進歩的政党である
わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。
・六、わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である
わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。
実にバランスの取れた格調の高い文章だと思う。これは第二の憲法を書こうとしているのではないか?と思うほどだ。この前後に「立党宣言」なり「綱領」なり、「党の使命」なりが書かれてある。興味のある人はぜひ読んでほしい。
ここからも読み取れることだが、自由民主党の名の通り、「自由」と「民主主義」、さらに「福祉」を尊重するとある。現代の目から見ても、先進国の政治理念の「いいとこ取り」をすでにこの時点で狙っているともいえる。そして、全体主義を否定していることから、当時今よりもはるかに力の強かった共産党を排撃する意思を強く持っていたことがうかがえる。また、福祉といっても極端な社会主義に走るつもりはない、という意図も込められていたかもしれない。

派閥

自民党政治といえば派閥だ。今は最強集団とまでは言えない微妙な力の派閥だが、55年体制時の派閥は強固だった。それは当時が中選挙区制だったことと関連している。中選挙区制においては、同じ選挙区内において、自民党の候補者同士が複数で争うことが普通だった。すると、各候補者は選挙資金・ノウハウを派閥に頼り、他派閥の候補者に勝とうとしたのだ。
個々の派閥を見る前に保守本流/保守傍流の区別を見たい。
保守本流は吉田茂が率いた旧自由党系の流れを汲み、池田勇人、佐藤栄作など官僚出身者(いわゆる吉田学校)を中心とした勢力を指している。政策的には吉田茂の主導した軽軍備、日米安保体制を基軸とし、国際貿易を通じた経済成長などに特色があり、戦後日本の進路を大枠において確定させたということができる。自由民主党においては、池田勇人が池田派(宏池会)、佐藤栄作が佐藤派(周山会)を形成し、佐藤派は佐藤後継をめぐる田中角栄と福田赳夫との激しい総裁選を田中が制した結果、田中派(木曜クラブ、のちに竹下派(経世会))となった。
保守傍流はというと、保守合同以前に「反・吉田茂」の路線で日本民主党に属したグループであり、さらにさかのぼれば旧・自由党(1945年- 1955年)の鳩山一郎派および改進党系から成り立っている。現在では清和政策研究会(安倍派)、志帥会(二階派)、近未来政治研究会(森山派)、かつての番町政策研究所がその流れを汲んでいる。
ただ、あくまで自民党史を俯瞰するためには上記のような分類も便利、というだけで、最近では保守本流/傍流の区別などあまり聞かれない。
上記の概説の中にすでに出てくるが、昭和の自民党史で最もインパクトに富んだ時代は、いわゆる三角大福中の時代だろう。つまり三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘が激しく総裁選を戦いあった時代だ。この時代は上記の通り中選挙区制で派閥間の争いも激しく、政治資金規正法も厳しいものではなかったため、金権選挙が隆盛を極めた。そして周知のとおり、集金にも金の配分にも異常な才覚を発揮した田中角栄が、この時代に最も影響力を強めたともいえるだろう。つまり三角大福中の時代をおおむね制したのは田中派なのだ。誤解のないように付け加えておくと、岸信介の時代からすでに激しい金権選挙は行われていたともいう。田中角栄はそれを芸術的?な域まで完成させた、といえばいいだろうか。
ただロッキード裁判の終盤ごろ、田中派は、新派閥として名乗りを上げた竹下登の竹下派(経世会)に乗っ取られた。そもそも田中派は佐藤派を乗っ取って作られたものだ。ここで一つの因果が巡ったのかもしれない。ただ国民から見れば田中派も経世会も同じようなものだった。そして保守本流の流れをくむ政党だ。
ところが森喜朗政権で突如、清和会が自民党のトップに立つことになり、小泉政権のころ清和会支配は決定的となった。古き良き?昭和の時代は保守本流と呼ばれた派閥は影が薄くなり、保守「傍流」と呼ばれた中にあった清和会の最強時代が、これだけ続いたのだから歴史の不思議ではないだろうか。
そして現在は岸田政権となり、また新たな保守本流の復活が目指されているのかもしれない・・・?

参照文献・おススメ文献:

「自民党―「一強」の実像」中北浩爾 中公新書

「自公政権とは何か」中北浩爾 中公新書

「自民党 価値とリスクのマトリクス」中島岳志 STAND BOOKS

「自民党政権」佐藤 誠三郎 松崎 哲久 中央公論社

「小説吉田学校」戸川 猪佐武 学陽書房







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