公明党

公明党・創価学会のルーツ

公明党は言わずと知れた、創価学会をバックに持つ政党だ。最近の若い人はピンと来てないかもしれないが(私もあんまりピンと来ていなかった)、有名な池田大作さんは一見教祖のように見えるけど、創価学会の創始者とは違う。池田さんはあくまでも中興の祖なのだ。1930年に牧口常三郎が「創価教育学会」を起こしたのが始まりとのことだ。これだけ歴史のある宗教団体なのである。

戦後、高度成長の波に乗って地方の農村から都市部に就職にやってくる若者が多かった。就職だからと言って、いきなり都市部に放り込まれた人々は孤独感を抱える。そういう労働者たちを勧誘して、連帯感を持たせるようなところが創価学会のやり口だったらしい。

ちなみに創価学会の教義はどういうものか?というと大元は日蓮宗だ。私も宗教学者でないのでうまく説明できないが、分かることとしては、日蓮は激しい性格であり、浄土宗系(浄土宗・浄土真宗)、禅宗系(臨済宗・曹洞宗)含め当時の他宗派をひたすら批判していたらしい。法華経をひたすら大事にするそうなので浄土宗系と共通するかもしれないが、今の創価学会には「現世利益」という重要な概念があるそうなので、ひたすら死後の世界に浄土に行けることを願う浄土宗系とはハッキリ異なるのかもしれない。(「現世利益」を日蓮自身も言ってたのかはよく分からない)

そして日蓮宗の大きなインパクトとしては、「立正安国論」という日蓮自身の著作にもあるように、元々「国をよくしなければならない」という思想があることだ。個人的には、宗教は個人個人の人生を救済するものだと思うので、「国をよくする」という発想が宗教として優れているのか?よく分からない。ただ、日蓮宗はそういう宗教だということだ。これはありていに言えば、現代の政治家にとって都合のいい宗教だと見ることもできるのではないか?

そして、創価学会のややこしい所は、正確に言うと教義が日蓮宗ともややズレるということだ。創価学会の宗派は正確には日蓮正宗という。日蓮宗を興した日蓮の5人の弟子たちとは違って、日興という弟子が興したものらしい。日蓮宗の本仏は釈迦だが、日蓮正宗の本仏は日蓮そのものだ。

一般の人から見て気になるのが、公明党は「政教分離」を守っているのか?ということだが、1999年、大森政輔内閣法制局長官の国会答弁として以下のものがある。

「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国及びその機関が国権公使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治活動することをも排除している趣旨ではない」

幸福実現党など他の宗教政党も、こういう解釈にのっとって活動しているのかもしれない。

公明党の体質

宗教と聞くだけで今の日本人には「怪しい」と感じる人も多いかもしれないが、私は公明党のスタンス自体は全然悪くない、それどころか大変立派なものをたくさん持っていると思う。そもそも創価学会は「大衆を救いたい」という理念のもとに拡大してきた団体であり、公明党も、外交・安全保障政策などを中心とする大きな国家像というよりは、国民生活に直結する社会保障や環境問題などを中心に個別具体的な政策に重点を置くスタンスの政党なのだ。

それはいいとして私が個人的に「怪しい」と感じることがあるとすれば、公明党の立ち位置である。公明党は「中道保守」と紹介されることが多い。しかし上記のように、公明党は大衆に身近な生活上の問題を中心視してきた政党なのだから、政治学的な分類をするならリベラルだと思う。歴史上、その時々でポジションを変えてきたものの、自民党と付き合いをすることが多く、今では連立の関係にもなっている。だからこそ自民党に合わせて保守のスタンスを取り入れているだけで、元来はリベラルの政党だと思うのだ。個人的には、そのスタンスを生かして、立憲民主党なり、その前身の民主党などに協力すればよかったのに、と思うこともある。

ただ先述のように公明党が国民生活を重視しながら立派な政治実績を上げてきたのも事実である。私立高校の実質無償化、幼児教育の無償化などである。全国の小中学校にエアコンを設置、という運動もある。また歴史的な話を言うなら、昭和の時代に総点検運動というものが盛り上がったことがあり、これは在日米軍基地問題や公害問題を、公明党議員がジャーナリストのように徹底調査して、明るみに出た問題を国会で追及するというものだった。国民の関心の高い問題を現場主義で検討していく、という公明党の体質はこの頃から養われていたと言えそうだ。

公明党の歴史

「言論出版妨害事件」

公明党の歴史を考える上で、公明党への批判も含めて真っ先に挙げられるのが有名な「言論出版妨害事件」である。1969年末に共産党議員がNHKの番組で「公明党は明治大学の藤原弘達教授の『創価学会を斬る』の出版を妨害している」と追及したのだ。さらに共産党は、公明党の竹入委員長が自民党の田中角栄幹事長に『創価学会を斬る』の出版を差し止めてくれるよう協力を働きかけていたというスクープを報じた。さらにはその後の国会で、「創価学会を斬る」以外の出版物においても同様の妨害があったことが明るみになった。

この事件を受け止めて池田大作会長は「政教分離」を徹底する方針を打ち出した。まず創価学会が掲げる「国立戒壇」において、それが国教化を意味するものではないとし、以後、この言葉を一切使わないと宣言した。

公明党との関係においては、

①議員の学会役職の兼任を認めない ②創価学会は公明党の支持団体とする ③選挙運動は党組織の活動とし、創価学会は支持団体として地域の応援はする といったことを挙げた。

これも上記の法制局長官の答弁と合わせ、公明党の政教分離の根拠となっているのだろう。

日中国交正常化

公明党は結党当初から日中国交正常化を打ち出していたようだが、1968年ごろから対中政策で具体的な動きを見せ始め、70年には訪中団派遣も決定している。竹入義勝委員長らは二度にわたって訪中し、周恩来首相と会談している。ここで竹入委員長は周首相から、国交正常化に臨む中国側の姿勢として「日米安保条約を問題としない、中国側から戦争賠償を求めない」などの言質を取ったとされる。これは帰国後、大平正芳外相に報告され、田中政権が日中国交正常化に踏み切る決定打になったとも言われる。

自民党との関係

88年、委員長の矢野淳也がスキャンダルで失脚すると、執行部の刷新が測られ、書記長に市川雄一が就任した。市川は社公民路線(1960年代から1990年代における日本の政治で、日本社会党が公明党 ・ 民社党と共に自由民主党に対抗して共闘する戦術あるいは戦略)を繰り返し批判し、政治改革を熱心に構想していた小沢一郎とともに自公民路線を検討するようになる。
細川政権、羽田政権、村山政権を経て、小沢は新進党の結成を目論見る。公明党は対応に逡巡し分党状態になりながらも、新進党に協力する道を歩んだ。公明党が分党状態とはいえ、創価学会は全面的に新進党を支援した。新進党はここで大幅に議席を獲得し、創価学会の影響力を見せつける。自民党は新進党の躍進に脅威を感じ、激しい創価学会批判を展開した。
新進党は1997年12月に解党し、自社さ政権は存続していたが自民党は参議院で過半数を取れず、自民党の対抗勢力が民主党に結集しつつある中、対抗策として自民党が公明党に接近する契機が生じた。
自民党とこの前まで批判し合っていた関係上、公明党からは「まずは自由党というワンクッションを入れてほしい」という要望があり、自民党はまず小沢一郎率いる自由党と連立を組むことになり、ここに横から入る形で公明党が連立参加したのだ。1999年10月の自自公連立政権発足である。
この後自由党が分裂し自公保(自民党・公明党・保守党)連立政権となったが、保守党を自民党が吸収したことで、2003年より自公連立政権となった。
ようやく政権に食い込んだ公明党だったが、歴史の皮肉か、2000年の森喜朗の首相就任以降、自民党清和会の政権となっており、この派閥の政策スタンスは公明党と対立することが多く、公明党は連立の維持に苦慮することになる。

参照:
「公明党」薬師寺克行 中公新書

「公明党に問うこの国のゆくえ」田原総一朗 毎日新聞出版

おススメ文献:
「シンジケートとしての創価学会=公明党」古川利明 第三書館

「システムとしての創価学会=公明党」古川利明 第三書館









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公明党の幹部

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