日本国憲法の基本的性格

▶「改憲論議」の項で説明しているように、9条2項には芦田修正によって「日本は自衛のための実力を有することができる」と解釈できる建前となっている。ただしいくら「自衛のための」といっても、軍部が暴走しては太平洋戦争の二の舞になってしまう。そこで、第66条に付け加えられたのが「文民規定」だ。

自衛隊法に記されているように、自衛隊の最高指揮官は文民である内閣総理大臣となっている。戦前のような軍部支配を起こさせないため、職業軍人でない文民が、行政を担うというシビリアンコントロール(文民統制)が日本の防衛政策の基本原則となっている。

日本の防衛原則

シビリアンコントロール以外にも、平和主義を掲げる日本には、防衛に関する基本原則がある。

まずは海外派兵の禁止。これは、自衛隊が発足した1954年の参議院で決定した。現実には自衛隊は数多くのPKO活動に派遣されているが、これは「派兵」ではなくて「派遣」だということで、OKということになっている。

次に専守防衛。日本から攻撃を仕掛けることはできない。攻撃を受けた時に防衛する。これが基本原則。さらに最も問題となる集団的自衛権行使の禁止。集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が他国から攻め込まれた場合、それを自国の安全に対する脅威と見なし、同盟国と共同防衛を行う権利。

個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も国際連合憲章で、その行使が認められているが、日本は認めてこなかった。しかし安倍内閣は積極的平和主義の方針の下、集団的自衛権行使容認を閣議決定した(2014年)。

他に、防衛費GDP比1%枠の堅持、非核三原則の保持などがある。

自衛隊と国際貢献

自衛隊の海外派遣が叫ばれるようになったのは湾岸戦争がきっかけ。日本は湾岸戦争の際、1兆円以上の莫大なお金を戦争のために払ったが、他の国からは「日本は金ばっかり出して、血を流さない」と批判された。そこで、「国際貢献とは何か」が議論されることとなり、1992年に制定されたのがPKO協力法だ。

そのPKOは、大きく分けて非武装の監視団と軽武装のPKF(平和維持軍)がある。PKFへの参加は長らく凍結されていたが、2001年、小泉純一郎首相によって凍結が解除され、現在はPKF活動にも自衛隊が参加するようになっている。

日米安全保障体制

日本は1951年のサンフランシスコ平和条約(日本代表は吉田茂首相)で主権・独立を回復したが、それと同日に結ばれたのが日米安全保障条約だ。
当時は冷戦の真っただ中で、ソ連を中心とした社会主義・共産主義陣営とアメリカを中心とした資本主義・自由主義陣営が激しく対立していた。そしてアジアに目を向けると、1949年に毛沢東が中華人民共和国を建国し、アジアで最大の国が社会主義国となり、さらに朝鮮半島では1948年に韓国が資本主義国として、北朝鮮が社会主義国として建国され、朝鮮半島は南北に分断された。そして1950年からは朝鮮戦争がはじまり、アジアにおいても2つの陣営が激しく対立するようになっていた。
日本は戦後、アメリカを中心とする極東軍事委員会によって間接的に支配されていたが、その委員会にはソ連も入っており、アメリカは、ソ連の力を無視できない状況になりつつあった。そこでアメリカは、「それならばいっそのこと、日本を一つの国として独立させて、アメリカの言うことを聞く国にすればいいんじゃないか」と考え、日本の独立を支持し、サンフランシスコ平和条約で日本の独立を各国に認めさせた。もちろん、ソ連はアメリカの考えを見抜いていたから、日本を独立させることで、ソ連の影響力を排除するこの条約に真っ向から反対した。その結果、日本は独立を果たしたものの、ソ連が反対したため、国際連合に加盟することはできなかった。国連への加盟は、ソ連と国交を回復した1956年の日ソ共同宣言(鳩山首相とフルシチョフの名代であったブルガーニンとの間で締結)まで待たなければならなかった。
このようにアメリカの意向によって独立を果たした日本は、アジアで広がる共産主義を防ぐ防波堤の役割が期待されることになった。ただアメリカ軍が日本に駐留すれば、他国に対する抑止力となるばかりか、軍事費の負担も軽くなり、その分を復興費に回すことができる利点もあった。しかしこの日米安全保障条約は非常に片務的な内容だった。
例えば、日米安保条約では「アメリカ軍の駐留を日本は認めるが、アメリカ軍は日本を守る必要がない」とか、「日本で内乱(社会主義革命など)が起こったら、アメリカ軍の出撃が可能」など、全く対等な条約ではなかった。そこで当時の岸信介首相はこの条約を対等なものへ変えようと考えた。
一連の安保闘争の責任を取って岸は辞任することとなったが、このとき結ばれた新日米安全保障条約には、日本が他国から攻撃された場合、在日米軍は日本を守り、また在日米軍が攻撃された場合には、自衛隊が米軍を守る共同防衛義務を課すなど、旧安保条約に比べ、やや対等な条約になった。
ただ10条しかない新日米安全保障条約だと不備が生じるので、それを補足するために結ばれたのが、日米地位協定だ。在日米軍基地で働くアメリカ人、またそこで働く人々(軍属)の身分を保証した条約だ。この条約には、日本の法律でアメリカ人を裁くことができないことなどが規定されている。また、日米地位協定によれば、在日米軍の駐留費は原則としてアメリカが負担することになっている。しかし、日本は1978年から在日米軍の駐留経費の一部を「思いやり予算」として負担するようになった。
1971年沖縄返還協定により翌年に祖国復帰を果たした沖縄だが、在日米軍の大部分が沖縄に集中している問題がある。このような状況下に置かれている沖縄で1995年、少女暴行事件が発生したが、少女を乱暴した海兵隊員を罪に問うことができないという問題が起こった。これに対し、沖縄県民の怒りが爆発して、日米地位協定の見直し、在日米軍基地縮小を訴える大規模な集会が開かれた。この結果、住宅地や小学校の近くにあり、世界で最も危険な基地などと言われている普天間基地を辺野古周辺に移設することが日米で合意された。しかし、日米地位協定の見直しは現在においても行われていない。
なお、新日米安全保障条約は自動更新されており、現在でもこの枠組みは変っていない(破棄する場合には1年前に通知が必要)。また、1996年の日米安保共同宣言(橋本龍太郎首相・クリントン大統領の間で締結)により、1997年には新ガイドラインが整えられている。
1989年のマルタ会談、1991年のソ連崩壊と、かつて安保条約が仮想敵国としていたソ連が崩壊し、世界は平和になると思われていた。でも実際には、ソ連の影響力が失われたことによって、各地で地域・民族紛争が発生した。そこで新ガイドラインでは、安保条約が極東の平和を守ることを目的としていたのに対し、より広い地域で平和を達成するために、アジア・太平洋地域の安全を守ることに再定義された。範囲が広くなれば、従来の日本の法律では対処できなかったため、小渕恵三首相は周辺事態法など、いわゆるガイドライン関連三法を制定した。

参照、引用元:
「政治・経済の点数が面白いほどとれる本」執行康弘 KADOKAWA

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