2021年の総選挙において野党が協力体制をとる流れになり、立憲民主党・共産党・社民党・れいわ新撰組の4党が野党共闘を目指すべく、いわゆる市民連合を結成した。
しかし結果的には立憲民主党・共産党が議席を減らすことになる。同年11月12日、立憲民主党の枝野幸男代表は引責辞任することになる。その後代表戦が行われ、11月30日、泉健太氏が新代表に選ばれた。
新代表、新執行体制がスタートしたが依然として立憲民主党は支持率の低迷に悩み、様々な野党共闘の形を模索しているのが現状のようだ。しかしそもそも立憲民主党は枝野幸男氏を中心として結成された政党である。以下、設立の経緯も含め、立憲民主党の体質を振り返ってみたい。
立憲民主党とは!?
『立憲民主党は、立憲主義と熟議を重んずる民主政治を守り育て、人間の命とくらしを守る、国民が主役の政党です。
私たちは、
「自由」と「多様性」を尊重し、支え合い、
人間が基軸となる「共生社会」を創り、
「国際協調」をめざし、「未来への責任」を果たすこと、
を基本理念とします。
私たちは、この基本理念のもと、一人ひとりの日常のくらしと働く現場、地域の声とつながり、明日への備えを重視し、国民の期待に応えうる政権党となり、この基本理念を具現化する強い決意を持って立憲民主党を結党します。』
この中でも立憲主義、多様性、共生社会などが特に重要キーワードと思われるが、ここからもわかるように立憲民主党はリベラル政党である。
というか2017年の結党当時は安倍政権のモリカケ疑惑、安保法制の解釈改憲に批判が高まっていた頃であり、与党の政治体質に不満を持った政治勢力がリベラルを明確に打ち出すと支持を得やすいという社会状況もあった。ただし結党時の中核メンバーはもちろんのことながら、アンチ安倍の雰囲気を出すために付け焼刃でリベラルを気取ったわけではない。それどころか筋金入りのリベラルな議員さんたちだったのである。
立憲民主党に至る経緯(ドラゴン桜と学ぶ学習サイト参照)
1993年、日本社会党や公明党などが参加した、非自民・非共産の8党連立による細川護熙内閣が誕生。世論の期待は大きかったが、内部対立が表面化した結果、8党連立の枠組みは1年で瓦解。細川内閣に続く羽田孜内閣で、早々に社会党が離脱した影響は大きいものだった。
その後成立した自民党・社会党・新党さきがけの連立からなる村山富市内閣に対抗すべく、野党となった側は合併と分裂を繰り返した。羽田孜などのグループは、公明党や民社党の一部を取り込んで新進党を結成。やがて、新進党の一部に新党さきがけを離党した鳩山由紀夫や菅直人らが合流し、1996(平成8)年に民主党を結党した。
21世紀に入り、小沢一郎らが所属していた自由党などと民主党は合併。この頃から、民主党は議席数で自民党に迫るようになり、政権奪取が現実的なものとなる。2005年の郵政民営化の是非を問う総選挙は敗れたが、2009年の総選挙で自民党に圧勝。鳩山由紀夫を首相とする民主党政権が樹立した。
しかし、鳩山政権は普天間基地移設問題などで混乱した結果、1年持たずに退陣することに。続く菅直人内閣も東日本大震災の対応などに手こずり、1年で総辞職した。その後の野田佳彦内閣も内紛が続いた結果、総選挙で惨敗。民主党政権はわずか3年で幕を下ろした。
下野した後の民主党から離脱する者が相次ぎ、与党と対抗しえない状況に陥った。2014年の総選挙では、当時民主党代表を務めていた海江田万里が落選する始末。党略に苦慮した結果、維新の党との合併を決断。名前を民進党に変更して、再出発を図った。
しかし、参議院選挙・東京都知事選挙・東京都議会議員選挙といずれも思うような結果が得られなかった。かつて民主党代表だった岡田克也や、憲政史上2人目となる野党第一党の女性党首となった蓮舫が代表に就任するも、党勢の拡大にはつながらず。その後に代表となった前原誠司には、党運営の見直しが迫られていた。
民進党が敗れた2016年の東京都知事選挙で、勝利したのは小池百合子だった。彼女は自民党所属の衆議院議員時代に、防衛大臣や環境大臣などを歴任している。ですが、都知事選では自民党からの推薦を得られなかった。しかし、都知事選挙を無所属で出馬し、圧勝してみせた。
2017年になり、小池は希望の党立ち上げを発表。国政進出を目指すための足掛かりとなる政党を結成した。それに目を付けたのが民進党。党代表の前原誠司は、希望の党との合流を模索し始めた。
希望の党との合併協議は、2017年の総選挙に向けて進められた。民進党からは公認候補を出さず、候補者全員が希望の党からの公認を受ける形にするなど、民進党は準備を進めていきます。しかし、希望の党の代表である小池百合子は、すべての民進党所属議員を公認するわけではないとする意思を表明しました。
これに民進党の一部議員が反発。枝野幸男を中心とするグループは、民進党から離党して立憲民主党を立ち上げた。さらに、無所属のまま立候補に踏み切る者も現れる。結局、民進党は希望の党・立憲民主党・無所属の3つに分裂。党勢を拡大させるつもりが、かえって混乱を招くこととなった。
2017年の総選挙で、希望の党が獲得した議席数は50にとどまった。政権奪取には程遠く、民進党から分裂した立憲民主党の55すらを下回る結果に。その責任を取って小池百合子は代表を辞任し、玉木雄一郎がその後任となった。
一方で、民進党はまだその時点で解党はしていなかった。立憲民主党や希望の党に移籍する者もいたが、大塚耕平を代表に据えて活動していた。しかし、2018年になり、民進党と希望の党は合併を協議。2党は合流し、国民民主党という名前で新党を立ち上げ、共同代表には玉木と大塚が就任した。
立憲民主党の性格
立憲民主党の支持基盤(NPO法人 Mielka note より)
立憲民主党を支持しているのは、自治体職員による組合(自治労)や私鉄の労働組合(私鉄総連)、先生の組合(日教組)など、かつて社会党を支持した旧「総評(日本労働組合総評議会)」に加盟していた団体が多い。
国民民主党を支持しているのは、自動車産業(自動車総連)や電力会社の労組(電力総連)、多種多様な産業の労組連合(UAゼンセン)など、革命や過激な社会主義に反対した旧「同盟(全日本労働総同盟)」にかつて加盟していた団体が多い。
参照文献、おススメ文献:
「枝野ビジョン」枝野幸男 文春新書