MMT

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MMTをご存じだろうか?ここ数年、経済評論の世界を最もにぎわせたテーマの一つとも言えるだろう。経済学が根底からの変革を迫られている、などとも言われる。一方で、主流派経済学者たちの多くは「大した理論ではない」と決めつけて静観している、そんな状況も多くみられるのが現状だ。主流派の経済学者とMMT派の対立はもうしばらく続くのだろう。

MMTの特に大きな論点は以下のようなものだ。

・信用貨幣論

・税が貨幣を駆動する

・内生的貨幣供給論

・債務ヒエラルキー

・スペンディング・ファースト

・税金は財源ではない

・国債も財源ではない。国債の役割は金利調節である

・機能的財政論

主流派経済学の中には、上記キーワードの対概念も多く存在している。ざっとセットで書きだすと以下のような感じだ。

▶信用貨幣論

まず対概念の「商品貨幣論」の方が、多くの人になじみがあるだろう。

「原始的な社会の取引は物々交換で行われていたが、それでは何かと不便だったため、それ自体にモノとしての価値がある『商品』が、便利な交換媒体(つまり貨幣)として用いられるようになった」という昔ながらの貨幣観がある。このように「貨幣=交換に用いられる財」ととらえる考え方を「商品貨幣論」という。しかし、現代の不換紙幣経済の下では、そもそも貨幣に金など実物資産の裏付けがない。また物々交換から商品貨幣経済に移った・・・という歴史的事実もハッキリ観察されたわけではない。標準化された硬貨制度が出来上がったのは歴史上、比較的最近のことであるため、それ以前の経済のことを商品貨幣論で説明しにくい、ということもある。

物々交換市場が存在しなかったとすれば、貨幣が存在する以前の商取引は、「貸し借り」の関係を伴う「信用取引(つまりツケ払い)」にならざるを得ない。そうした取引に用いられた「債務証書」こそが貨幣の起源である、とMMTでは考える。

このように、貨幣の起源を貸し借りの関係に求め、「貨幣=支払い手段として用いられる債務証書」ととらえる考え方を「信用貨幣論」という。

▶税が貨幣を駆動する

MMTは、人々が国定貨幣を日々の決済手段として用いるのは、国家が自らに対する支払い手段としてその貨幣を「受け取ることを約束する」からである、と主張している。国家に対する支払い債務の中でも、最も重要なものが税金である。

「国家が法律で何かを貨幣と定めれば、それが実際に貨幣として流通する」というほど貨幣のルール設定は単純ではない。税金の支払いに国定貨幣が必要になるからこそ、人々はありとあらゆる取引の決済に国定貨幣を用いるようになる。これをMMTは「租税が貨幣を動かす」と表現している。

▶内生的貨幣供給論

個人が一般社会の中でおカネを持とう、使おうと思えば、まず誰かからもらうなり、働いて報酬としておカネを得るしかない。そして他人から1万円もらうことができれば、その範囲内で1000円のモノも5000円のモノも自由に買える・・・普通はそう考える。しかし、ノートに1万円と書き込むだけで1万円が手に入るとしたらどうだろうか?そんなのはマンガの世界、魔法の世界の中だけだ、と思うだろう。しかしMMTでは、これに似たことが金融機関や政府の中では起こっていると考えるのだ。

前者の、外部からもらってきて初めておカネが手に入る、という考え方を「外生的貨幣供給論」という。後者の、必要とあらば無からすぐに手元でおカネを生み出せる、という考え方を「内生的貨幣供給論」という。

内生的貨幣供給論を多くの一般の人が聞けばキツネにつままれたように感じるかもしれないが、実は金融機関の人たちは、これをすでに事実だと認め始めているのだ。これは主流派経済学とMMTの大きな対立点の一つだ。主流派経済学では、銀行に100万円を預け入れてくれる人がいてはじめて、「90万円は企業に貸し出すけど10万円は手元に置いておこう」などという融資判断ができる、と考えている。これが外生的貨幣供給論だ。しかし実際の銀行の融資担当者は、預金とは何も関係なく、融資先の口座に90万円と書き込むだけで融資のおカネを生み出したことになるのである。事実、「銀行実務はそうなっている」と多くの金融機関関係者が証言している。これによって、MMTは、主流派経済学の「信用創造」の説明は事実に反していると主張している。



▶債務ヒエラルキー

負債ピラミッドともいう。MMTは、通貨や預金も含めたすべての負債は、国家の負債を頂点とする「負債ピラミッド」を形成しているという。負債ピラミッドにおいては、頂点にある国家の負債の次に来るのが民間銀行の負債、最後に来るのがその他の経済主体の負債という序列になっている。そして、それぞれの経済主体は自らの負債を履行するために、より上位に位置する主体の負債を利用する。

新世紀のビッグブラザーより

▶スペンディング・ファースト

これも「内生的貨幣供給論」と関連するところだが、政府は財政出動の手当の必要があるところには、いつでも必要なだけおカネを出せるのだ。MMTはそう考える。税金が政府の中に貯まってくるのを待つ必要はない。それとおなじように、銀行も、どうしても融資したい案件があれば、いつでも好きなだけ融資ができるのだ。預金が貯まってくるのを待つ必要はない。「支出が先」「収入は後」、それがMMTの考え方なのである。

▶税金は財源ではない

これもMMTの、最も物議をかもす論点の一つだ。私(管理人)も最初は信じられなかった。しかし最近では「そうかもしれないな」と思っている。MMTが言うには、税金の役割は「負債の消滅」なのである。これだと抽象的表現のようだが、要は市場からおカネを消すことだ。「おカネを消す」ことが要点なのであって、「おカネを財源として集める」わけではない。MMTはそう考える。MMT的に言うと、スペンディングファーストでマネーをいつでも市場に供給できるのだから、税金からくる財源を気にする必要はないのだ。ところが好き勝手にマネーをばらまきすぎると当然インフレを徐々に誘発してしまうから、程よい所でマネーを消す必要があるのである。

▶国債も財源ではない。国債の役割は金利調節である

私はこれはMMTの中で最も難しい論点の一つだと思っている。会計のプロ、金融のプロにとっては比較的理解しやすいのかもしれないが、一般の人にとっては難所になるはずだ。

スペンディングファーストの概念の通り、政府は0からマネーを生み出せるので、税金なり国債を財源として考える必要はない。すると国債には何の意味があるのか?というと金利の調節なのである。MMTはそう考える。市中銀行にマネーがあふれすぎていて、金利が下がりすぎるようだったら、中央銀行が市中銀行に国債を買わせ、代金として中央銀行当座預金に銀行マネーを吸収する。市中銀行にマネーが足らないようだとその逆である。市中銀行の国債を中央銀行が買い取り、中央銀行は市中銀行にマネーを流し込む、と同時に金利は下がる。

上記の説明だと一般の売りオペ/買いオペの説明と同じで難しくないじゃないか、と思われるかもしれない。だが一般の経済学だと、国債には金利調節作用とは別に、財源の機能も確固としてあるはずだ。だがMMTでは、国債には財源としての役割は全くないと考えるのである。

▶機能的財政論

これに対する主流派経済学の概念が「裁量的財政論」だ。つまり一般の財政政策のことである。財政政策というのは日本では公共事業のイメージが強いかもしれないが、要は時の政府がそのときの考え方、好みに応じて、財政資金をバラまくということだ。景気拡大の効果はあるかもしれないが、問題は景気拡大の中身だ。極端な話、公共事業であれば建設業だけが儲かって、他の業界の人は全く儲からない、ということもあるかもしれない。それに財政出動の直後はカーッとモノが加熱するように景気が上がるかもしれないが、しばらく経てばその景気は一気に覚めてしまうかもしれない。浮き沈みが激しくなる恐れがあるのである。

そういう問題を避け、より社会全般に公平な財政出動の効果を届けるために、MMTでは「機能的財政論」という概念を提唱している。有名なアイデアが「ジョブ・ギャランティ」と呼ばれるものである。ジョブ・ギャランティとは一定賃金の雇用を無制限に供給する政策のことである。これによれば完全雇用(求職者が皆、就業している状態)が実現し、常にキープされることになる。

参照文献:
「MMT現代貨幣理論入門」L・ランダル・レイ 東洋経済新報社

「MMTとは何か」島倉原  角川新書

「最新MMT[現代貨幣理論]がよくわかる本」望月慎 秀和システム

「財政赤字の神話」ステファニー・ケルトン 早川書房





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