天皇の現代の仕事2

国際親善の仕事

天皇にとっての国際親善とは、以下のように幅広いものがある。
1 外国を訪問すること
2 国賓を含む、来日した外国賓客に会い、もてなすこと
3 駐日外国大使らへの様々な接待
4 諸外国への災害見舞いや各国の建国記念日の祝意など、各国の元首らと電報(親電)や手紙(親書)のやり取りをする
5 海外へ赴任予定の大使や、任期を終え帰国した日本の大使らに会う
現代の国際社会では、親善を深めるため、元首が相互にそれぞれの国を公式訪問するという慣習がある。
日本にもおおぜいの外国賓客が来日するが、元首級の賓客が皇居・宮殿を訪れ、天皇がその賓客と会うことを「会見」「引見」という。「会見」は外国の元首(国王や大統領)や王族(国王以外も)と会うこと、「引見」はそれ以外の外国賓客に会うことをさす。
会見や引見の流れは以下のようになっている。
まず、天皇が宮殿の南車寄に出て賓客の到着を待ち受ける。皇居の正門を通って車で到着した賓客と握手を交わし、渡り廊下を通って、天皇が竹の間まで案内する。
宮殿に入って渡り廊下の手前には、日本画の大家、東山魁夷の海の波をモチーフにした大壁画が飾られており、渡り廊下からは美しい中庭がガラス越しに目に入り、その美しさについて会見・引見の際に話題にする賓客も多い。天皇と賓客の先導は、宮内庁の儀式や外国国際関係を担当する部署、式部職のトップである式部官長が行う。
竹の間には天皇(と皇后)と賓客、通訳と式部官長のみが入り、侍従長や相手国の随員は千草・千鳥の間で待機する。
現在の天皇陛下の会見・引見では、陛下がかつてその国を訪問した経験があれば、そのときのもてなしへのお礼や、当時の印象に残っていることなどから会話が始まり、たとえば「(相手国の)特産品は〇〇でしたね」といった会話をされる。
会見・引見は多くの場合30分程度で、賓客の方も「日本滞在中は〇〇などを訪問する予定です」といったことを話す。場合によっては「陛下もぜひ一度、我が国を訪問ください」と天皇陛下の自国訪問を招請することがある。この招請が、天皇が外国訪問を行う際のきっかけとして、場合によっては政府で検討が行われ、天皇の実際の外国訪問に結びつくこともある。
なお、賓客とよりなごやかに会見・引見ができるよう、天皇は、会見・引見の一週間から数日前に、その相手国に駐在している日本大使を御所に招き、事前にその国情について、説明を受けられている。
なごやかな雰囲気で会話を終えると、プレゼントの交換と記念写真の撮影が行われ、再び南車寄へ賓客を案内し、帰りを見送ることになる。賓客のレベルによっては、宮殿の小食堂「連翠」に移動し、昼食会(午餐)になったり、「国賓」の場合は、天皇と国賓の会見後、いったん迎賓館に帰った賓客が夜、再び宮殿を訪れ宮中晩餐会が行われるなど、いくつかのパターンに分かれている。

外国訪問

憲法で定められた天皇の国事行為の中に、外国を訪問する、という項目はない。つまり天皇の外国訪問は国事行為でなく、「象徴」という立場から行われる公的行為に属する。公的行為は国事行為ではないので、内閣の助言と承認は必要としないともいえる。
だから本来は、憲法上、天皇の意思で外国訪問を決めることができるのだが、実際はそうなっておらず、外国訪問は政府が検討し、閣議にかけ、閣議決定というかたちをとり、天皇の意思は介在できないことになっている。
それでは政府は天皇・皇后の外国訪問を決める際、どのような観点から検討を行うのだろうか。まず、以下のような点が検討される。
・相手国からの招請があること
・国交賓の来日状況
・相手国との交流の現状
・相手国の情勢(政情や治安が安定しているか)
・地域的なバランス
・天皇の国内の行事日程
これらの条件が総合的に検討され、閣議で決定されるという。
日本国内では国家元首は天皇なのか首相なのか曖昧なところがあるが、訪問先では天皇・皇后は元首としての扱いを受ける。
一つの公式訪問国での典型的な日程を見てみよう。
まず、到着すると歓迎式典が行われる。会場は王宮や大統領官邸、国会議事堂前の広場などで、相手国の元首とともに出席、両国国家の演奏や国軍の儀仗兵による栄誉礼や礼砲を受ける。続いて相手国元首との会見。さらにその国の戦没者記念碑への供花も行われる。
夜には訪問国元首主催の公式晩餐会が行われる。晩餐会では訪問国元首・天皇双方のお言葉があり、天皇陛下のお言葉では、訪問国の歴史・文化への共感や敬意を示し、両国の交流の歴史を振り返った上で「両国民が相互の理解を一層深め、世界の平和と繁栄のために力を合わせていくことを願っております」といった内容を語られることが多い。
宿泊はその国の迎賓施設が用意され、それが国賓に対する国際儀礼となっている。陛下の服装は公式晩餐会が燕尾服またはタキシード、その他の行事はスーツというケースが多い。
第二日以降は元首以外の要人主催の昼食会、文化施設・福祉施設・歴史遺産などの視察・見学、さらにはクラシックのミニコンサートといったものなどが入ったりする。
このほか、必ず入るのが、在留日本人や日系人の代表の拝謁、現地の高齢者や障碍者施設などの訪問である。現地の日本大使公邸などに数十人程度の在留日本人が招かれ、両陛下と親しく語らう。両陛下にとっても、そういう人たちにねぎらいの言葉をかけられるとともに、海外で暮らす日本人の現状を知る機会となるのである。高齢者、障碍者らの入所する福祉施設訪問は皇室が国内で重点を置く仕事の一つであり、海外訪問の際も現地の施設を訪ね、通訳を介して入所者に声をかけられる。
さらに、現地の日本研究の拠点などを訪問し、学生らと交流するケースも多い。

地方訪問

現在の天皇陛下は年に4回程度、泊りがけで東京以外の地方、つまりいずれかの都道府県を訪問されている。これらの地方訪問には皇后さまも同行されており、宮内庁では天皇・皇后の地方訪問のことを「地方行幸啓」と言っている。これは天皇が外出することを「行幸」、皇后・皇太子・皇太子妃が外出することを「行啓」ということから、天皇・皇后の外出は「行幸」「行啓」の両方を合わせたもの、つまり「行幸啓」というのである。
地方訪問は年に4回程度ある、と述べたが、そのうちの3つは毎年行われている以下の定例の行事である。
・「全国植樹祭」(4~6月ごろ)
・「国民体育大会」(9~10月ごろ)
・「全国豊かな海づくり大会」(9~11月ごろ)
これらはいずれも毎年、各都道府県持ち回りで開催場所が変わる。関係者は特にこれらを「三大行幸啓」と呼び、ふだん、東京(皇居)にいる両陛下が地方を訪問し、式典への出席はもとより、全国の国民と交流される数少ない機会として、重要なものと位置付けている。
法的には、国事行為にこそ挙げられてはいないものの、憲法の「象徴」規定に基づき”象徴として行われるのがふさわしい”という位置づけをされた「公的行為」に分類される。その重要性を示す一つの例として、上記の三つの式典では、天皇の「お言葉」がある。
「全国植樹祭」は、戦後の荒廃した国土の緑を増やし、森林に対する国民の愛着をはぐくもうと、昭和25年から、現在の国土緑化推進機構が開催都道府県と共催で毎年行っている国土緑化運動の中心的行事である。山梨県で開催された第一回から天皇・皇后が出席し、会場で両陛下それぞれが苗木を植え、さらに大きな木箱でできた苗木に樹木の種をまくイベントを行い、国民に模範を示してきた。
「国体」は、スポーツを振興し国民の健康と豊かな生活を実現しようと、昭和21年から毎年行われている。第三回大会からは、男女総合順位一位の都道府県に「天皇杯」、女子の一位には「皇后杯」が贈られている。
植樹祭や国体ほどの知名度はないが、「豊かな海づくり大会」も天皇・皇后両陛下が臨席される。同大会は、水産資源や海の環境保全の重要性を伝えるため、昭和56年から、各都道府県持ち回りで開催されている。式典のほか、天皇・皇后両陛下による稚魚の放流行事も行われる。

福祉施設訪問と被災地お見舞い

天皇・皇后両陛下は、以下の三回の施設訪問を毎年されている。
・「こどもの日」前後の児童福祉施設へのご訪問
・「敬老の日」前後の高齢者福祉施設へのご訪問
・「障碍者週間」前後の障害者福祉施設へのご訪問
訪問の流れについては、まず施設長からパネルなどを使って概要の説明を受けた後、高齢者や児童の施設の場合は入居者がレクレーションなどをしているところを見学する。その際、入居者に両陛下が直接、声をかけ激励される、というのがパターンだ。
平成時代の両陛下が特に思いをかけられていたものがある。ハンセン病の元患者らだ。ハンセン病は感染性の弱いらい菌によっておこる慢性の感染症で、主に皮膚や末梢神経が侵される。治療法が確立される前は不治の病と受け止められ、顔面や手足の皮膚などに後遺症が目立つこともあるため、患者や元患者は不当な差別を受けてきた。
両陛下は地方訪問の際、訪問先の周辺に療養所があった場合、必ずと言っていいほど訪問し、元患者らの労苦をねぎらい、励ましの言葉を賭けられていた。
平成時代の両陛下は福祉施設で入居者らにお声掛けの際、一人一人の手を取り熱心に接して時間がオーバーしてしまい、侍従が近寄り「時間ですのでそろそろ…」と両陛下に耳打ちしても、侍従の言うことを聞かず、少しでも多くの方々をお励ましになる、ということが度々あったようだ。
「大規模災害の被災地へのお見舞い訪問」というものもある。平成時代には、雲仙普賢岳の大火砕流被災地、阪神大震災の被災地、新潟県中越地震の被災地などをお見舞いになられている。
平成時代の天皇陛下は、即位10年に際しての記者会見で次のように述べられている。
「障碍者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは私どもの大切な務めであると思います。福祉施設や災害の被災地を訪れているのもその気持ちからです。私どものしてきたことは活動という言葉で言い表すことはできないと思いますが、訪れた施設や被災地で会った人々と少しでも心を共にしようと努めてきました」
参照、引用元:
「天皇陛下の全仕事」山本雅人著 講談社現代新書

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