天皇の現代の仕事

これまでは天皇の歴史を見てきたが、私たちにとって最も身近であるはずの現代の天皇陛下のお仕事は意外と知られていないのではないだろうか?

歴史上の君主というと毎日ゆったりと趣味にふけったり側近と政治談議や雑談を楽しむイメージかもしれないが、現代の天皇陛下は多忙だ。休日出勤になることも多いらしく、一般のサラリーマンと比べても年間勤務日数は劣らないかもしれない。

天皇陛下の現代のお仕事は大きく分けて、

●(内政に近い)公的行為

●国際親善

●地方訪問

などがある。

公的行為

執務

▶天皇の国事行為
1 国会の指名に基づいて、内閣総理大臣(首相)を任命すること(憲法第6条)
2 内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官(最高裁長官)を任命すること(憲法第6条)
3 憲法改正、法律、政令および条約を公布すること(憲法第7条)
4 国会を召集すること(憲法第7条)
5 衆議院を解散すること(憲法第7条)
6 国会議員の総選挙の施行を公示すること(憲法第7条)
7 国務大臣(大臣)および法律の定めるその他の官吏(国家公務員)の任免ならびに全権委任状および大使および公使の信任状を認証すること(憲法第7条)
8 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除および復権を認証すること(憲法第7条)
9 栄典を授与すること(憲法第7条)
10 批准書および法律の定めるその他の外交文書を認証すること(憲法第7条)
11 外国の大使および公使を接受すること(憲法第7条)
12 儀式を行うこと(憲法第7条)
13 国事行為を委任すること(憲法第4条)
さまざまな閣議での決定は書類により行われることが多いため、天皇の国事行為も閣議決定の書類の決裁が中心となる。
書類決裁の方法には、大きく分けて以下の4つのパターンがある。
①天皇が目を通した後、天皇自ら署名(御名)したうえ、天皇の公印である「御璽」という大きな印が、宮内庁職員によって押される「御名御璽」
②天皇が「可」の印を押す「裁可」
③天皇が「認」の印を押す「認証」
④天皇が「覧」の印を押すもの
①の「御名御璽」の決裁の方法が採られるものに、前記の13項目の国事行為の中では、3(憲法改正、法律、政令及び条約の公布)、4(国会の召集)、5(衆議院の解散)、6(国会議員の総選挙の施行の公示)があてはまる。
②の「裁可」は、1(首相の任命)、2(最高裁長官の任命)、9(栄典の授与)、11(駐日外国大使・公使の接受)、12(儀式の挙行)の5項目。
③の「認証」は、7(大臣および法律の定める官吏の任免、全権委任状および大使・公使の信任状の認証)、8(大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除および復権の認証)、10(批准書および法律の定めるその他の外交文書の認証)の3項目。
④の「覧」の印、つまり天皇に回覧され、”確かに見た”という意味の印が押されるものは、13(国事行為の委任)の1項目である。

皇室祭祀(宮中祭祀)

現在の憲法下では、法的な面での天皇の最も重要な行事は「国事行為」であるが、戦前は「祭祀」がもっとも重要な行事であるとされていた。
広い意味での「祭祀」とは、超自然的な神や祖先の霊を招き歓待し、供え物をしたり歌や舞を奉納したりすることにより、自然災害や病気、戦争を回避し、農・漁業の豊作の願いをかなえるといったことをさす。
天皇家の宗教も神道であり、歴史的に天皇は、稲作を行う農耕民族の代表者として、神に豊作を祈願し感謝する、そして、自らが統治する領土の安泰と人々の幸福・繁栄を祈願する存在、つまり祭祀の主催者として存在してきたと言われている。
天皇がお出ましになる30を超える皇室祭祀の中でも最も重要とされ、民間の稲の収穫祭を起源とし、宮中でも古くからおこなわれている「新嘗祭」(毎年11月23日)を中心に、祭祀がどのように行われているか、見ていこう。
新嘗祭は、天皇がその年に取れた米などの新穀を祖先神をはじめとする神々に供え感謝した後、自らも食すもので、農耕民族の代表者という天皇の歴史的な性格が色濃く表れた祭りである。
11月23日の午後6時、冠に純白の絹の袍(体を包む丸襟、大袖の上着)、純白の袴、底が桐でできた純白の靴、右手には笏(木製の細長い板)という、「祭服」と呼ばれる皇室祭祀の中でも新嘗祭など特別に重要な祭儀だけに用いられる装束を着けた天皇が神嘉殿に現れる。その前には、すでに住まいの御所で入浴して全身を清めること(潔斎という)をすませている。天皇の前後には同じく古式装束を着け、剣璽(けんじ:天皇のシンボルである剣と曲玉で、箱に納められている)を持った侍従が
それぞれつきそう。
神嘉殿内に入った天皇は手を水で清めた後、皇室の祖先神を祭る伊勢神宮の方角に設けられた神座に用意された、ふかした新米のご飯、粟のご飯、酒、刺身のように調理された鮮魚(タイ、アワビ、サケなど)、干した魚(タイ、アワビ、カツオなど)、野菜、クリやナツメなどの果実、塩、水などを自ら一品ずつ神に供える。米や粟は全国の農家から献上されたものや天皇自身が皇居内の水田で行った稲作によって収穫されたもので、食物については天皇自ら、竹製の箸を使って器に盛りつけていく。冷暖房などなく、灯火だけの薄暗い建物の中で、鮮魚などは一切れずつ、果実などは一粒ずつ盛り付けていくので、これだけで約1時間半もかかる。
この間、宮内庁楽部の楽師らが古代歌謡の神楽歌を前庭で歌う。これは神に食物(神饌という)だけでなく、音楽も奉納するという意味である。
続いて天皇は拝礼し、「かしこみかしこみ…」といった、独特の宣命体という文体でできた「お告文」(一般でいう祝詞)を読み上げる。その内容は、収穫への感謝と、今後も豊作であることを願うなどのものであるという。その後、天皇もご飯と酒を召し上がる。
この計約2時間の祭儀が「夕の儀」と呼ばれるもので、新嘗祭では、夕の儀の後、さらに同日午後11時からまったく同様の祭儀が「暁の儀」としてもう1度行われる。まさに天皇が、神社の宮司のように、祭りを自ら行っていることを示している。
また、この祭儀には皇太子も古式装束を着け拝礼する。お出ましの際は、皇太子のシンボルである「壺切剣」を持った侍従が付く。
祭儀の行われる「宮中三殿」は皇居内にある神社のような建物だが、そこは約8200㎡の敷地の中に「賢所」「皇霊殿」「神殿」という三つの社殿がある。
各祭儀は重要度により「大祭」と「小祭」の二つの扱いに分かれる。「大祭」は天皇自らが神社の宮司のように祭儀を主宰する役割を果たし、自ら「お告文」を読み上げる。「小祭」は、一般の神社で宮司にあたる「掌典長」が祭儀を行って祝詞を読み上げ、天皇はそこに出席し拝礼をする、というかたちをとる。
1月1日 「歳旦祭」(小祭)
1月3日 「元始祭」(大祭)
1月7日 「昭和天皇祭」(大祭)
1月30日 「孝明天皇例祭」(小祭)
2月17日 「祈年祭」(小祭)
春分の日 「春季皇霊祭」「春季神殿祭」(ともに大祭)
4月3日 「神武天皇祭」(大祭)「皇霊殿御神楽」
6月16日 「香淳皇后例祭」(小祭)
6月30日 「節折」
7月30日 「明治天皇例祭」(小祭)
秋分の日 「秋季皇霊祭」「秋季神殿祭」(ともに大祭)
10月17日 「神嘗祭」(大祭)
11月23日 「新嘗祭」(大祭)
12月中旬 「賢所御神楽」(小祭)
12月23日 「天長祭」(小祭)
12月25日 「大正天皇例祭」(小祭)
12月31日 「節折」

皇居・宮殿での儀式・行事

毎年行われる儀式のうち、「国事行為」にかかわるものには「新年祝賀の儀」「(首相、最高裁長官の)親任式」「信任状捧呈式」「(大綬章・文化勲章の)親授式」などがある。
中でも特に重要なのが「新年祝賀の儀」である。その理由は、「新年祝賀の儀」は国事行為の中の「儀式を行うこと」の項目に該当する唯一のものだからだ。
それでは「新年祝賀の儀」とはどのようなものか。
元日の朝、「新年祝賀の儀」の前に、天皇・皇后は住まいの皇居・御所で、身の回りで様々な世話をする侍従長や宮内庁侍従職の職員から新年の祝賀のあいさつを受ける。
天皇はこの日はすでに午前5時半から皇居・宮中三殿で古式装束を着け「四方拝」「歳旦祭」、続いて宮殿で「晴の御膳」を行っている。
午前10時、ここからが国事行為の「新年祝賀の儀」となる。
天皇・皇后は、皇居・宮殿「松の間」で各皇族から新年の祝賀を受ける。皇太子、皇太子妃、宮家の男性皇族、その妃殿下…の順でそれぞれ正面に立つ天皇・皇后の前に出て進み出て祝賀を述べ、退出する。服装は天皇が燕尾服、皇后がロングドレスと最高位の正装で、天皇は最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾」という首飾り型の勲章を着用している。もちろん、天皇を先導・随行して「松の間」に入り、わきに控えている宮内庁長官や同庁の式部官長、侍従長、侍従、女官長、女官も同じように正装している。
11時になると、今度は「松の間」の、宮殿正面から向かって右隣りにある「梅の間」へ、首相、大臣、官房副長官、副大臣、内閣法制局長官と次長の各夫妻から祝賀のあいさつを受けるためお出ましになる。この際、皇室の側は天皇・皇后のほか、各皇族も続いてお出ましになる。首相以下の参列者も燕尾服か紋付袴姿である。
続いて再び「松の間」に移動して衆参両院議長・副議長、議員、衆参両院事務総長、同事務次長、衆参両院法制局長、調査局長、国会図書館長・副館長のいずれも夫妻らからの祝賀を受けられる。
その後、左隣の「竹の間」に移動し、ここでは最高裁長官、同判事、同事務総長・事務次長、各高裁長官の各夫妻からの祝賀を受けられる。以上のように、立法、行政、司法の「三権」の機関の幹部からの祝賀を受けられる。この間、わずか30分である。
11時半からは、前記以外の認証官と各中央省庁の事務次官、都道府県の知事・都道府県議会議長の各夫妻からの祝賀。
各回とも、参列者の代表が前へ進み出て、天皇・皇后に祝賀を述べるというかたちをとる。天皇や各皇族は宮殿の各部屋を行ったり来たりすることになる。
このあと天皇・皇后は戻って昼食をとり、午後の部となる。
午後は2時半から、「松の間」で、駐日の各国大使夫妻の祝賀を受ける。この回には、午前の「三権」の関係者らとの回と大きく違う点がある。それは代表だけが進み出て祝賀を述べるのではなく、出席したすべての大使夫妻が順番に天皇・皇后の前に進み出て進み出て、あいさつするという点である。これは大使がその国の元首の代理であり、外交使節として赴任しているという”重さ”から来ていると思われる。
ここまでが「新年祝賀の儀」で、各国大使夫妻からの祝賀が終わると、夜明け前の祭祀からの長い行事はようやく一段落する。
参照、引用元:
「天皇陛下の全仕事」山本雅人著 講談社現代新書

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