新しい資本主義

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岸田政権の新しい資本主義

岸田政権が掲げる「新しい資本主義」は一見、分かりにくい概念だ。一応、ポイントを抜粋すると以下のようになるようだ。
・人への投資
・科学技術・イノベーションへの投資
・スタートアップへの投資
・GX(グリーントランスフォーメーション)およびDX(デジタルトランスフォーメーション)への投資
岸田首相のコメントを見る限り、新自由主義を転換したいという強い思いがあったようだ。
「私はアベノミクスなどの成果の上に、市場や競争任せにせず、市場の失敗がもたらす外部不経済を是正する仕組みを、成長戦略と分配戦略の両面から、資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化すべく、新しい資本主義を提唱していきます」(文芸春秋 22年2月号)
新自由主義のままで順調な経済成長が望めるわけではない、ということには、世界的にも幅広いコンセンサスがあると考えられる。だから岸田首相の問題意識は何となくわかる気もするし、時節を得ていると見ることもできるだろう。ただ若干総花的な印象も受けるし、どの方向性に特にポイントを置きたいのか、ハッキリしない気もする。この辺りが、「分かりにくい」という世論に繋がっているのではないか。申し訳ないけど岸田首相のちょっと優柔不断なところが、総花的なキャッチフレーズに繋がっているような印象も受ける。就任早々に金融所得課税の看板を引っ込めてしまいながらも、「資産所得倍増」はやりたい、と言い続けるなど、本当に資本主義を転換させたいのかどうかよく分からない、チグハグな感じもする。ただ、新自由主義で突き進もう!というスタンスに比するならば、人や環境に配慮した経済の方針シフト…というのは賢明なスタンスだと思う。

世界の資本主義へのスタンス

世界中の識者の間でも、「資本主義はこのままでいいのか?」という問題意識はかなり盛り上がっているようだ。私も今回様々な文献を調べてみて、ちょっと驚いた。自分がいかに感度が鈍かったかを突き付けられているような気がした。
まず、全体的に見て資本主義のパフォーマンスは落ちているように見える側面が広がりつつある。1980年代には3~5%を示していたG7諸国の成長率は、1990年代には3%前後に落ち込み、さらに2008年の世界金融危機後には、ほぼ2%に低迷している。
また、「自然利子率」という概念がある。これは現実のデータでは観察されないが、経済が潜在成長率に達した場合に、貯蓄と投資を均衡させる望ましい水準の均衡利子率だと定義されている。今、世界的に、この自然利子率の長期低落傾向に注目が集まっている。自然利子率は1985~2015年の30年間で約4.5%も下落し、現在、ゼロ近傍まで低下している。この先は長期にわたり1%前後にとどまるだろうというのが大方の見方である。
この経済停滞状況に対して、「さらなる経済発展が必要だ!」と考える派閥と「資本主義の大きな方向転換が必要だ」と考える派閥が入り混じっているように思える。
ある意味では、アベノミクスも「さらなる経済発展が必要だ!」との考え方に基づいて、日本経済のカンフル剤として機能することを期待されて実施された政策と言えるだろう。株価や失業率で一定の改善は見られたものの、消費者物価上昇率はついに目標の2%に届かいないままだった。
昨今の知識人と呼ばれるような人たちの間では、「資本主義の大きな方向転換が必要だ」という見方が大勢のように思える。
資本主義の大きな転換にも「ニュー資本主義」や「脱資本主義」など若干の色合いの違いは見られるが、どういうものか見ていこう。



ESG

国連の中に、「国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEP FI)」という組織がある。この組織は2004年に画期的なレポートを世に送り出す。レポートの名前は「社会、環境、コーポレートガバナンス課題が株価評価に与える重要性」。レポートを作成したのは、新たにUNEP FIに加盟していた12の運用会社だった。HSBCアセット・マネジメント、シティグループ・アセット・マネジメント、BNPパリバ・アセット・マネジメント、ABNアムロ・アセット・マネジメント、オールド・ミューチュアル・アセット・マネージャーズ、モーリー・ファンド・マネジメント等に加え、日本からは日興アセット・マネジメントが参加していた。
それまでのオールド資本主義の観点からは、環境課題や社会課題を考慮すれば投資パフォーマンスが下がってしまうのであれば、環境課題や社会課題を考慮すべきではない。しかし、それでも機関投資家に環境課題や社会課題を考慮することを求めていきたいのであれば、考慮することで投資運用利益が最大化できることを示さなければいけない。そうでなければ機関投資家を動かすことはできない。
そこで上記の運用会社12社で構成する「アセット・マネジメント・ワーキンググループ」は、「環境、社会、コーポレートガバナンス(ESG)」を考慮することで、株主価値を上げられるかどうかを判断することをミッションに置いた。証券会社11社に対し、11業種についてESGが株価に与える影響の調査を依頼し、報告内容をもとに、本当に株主価値を上げられるかどうかを分析していったのだ。11社が出した結論は、「これらの課題を有効にマネジメントすれば、株主価値の上昇に寄与する。そのため、これらの課題はファンダメンタル財務分析や投資判断の中で考慮されるべきだ」というものだった。
2006年4月、国連責任投資原則(PRI)が発足する。
国連責任投資原則(PRI)の6原則
1. 私たちは、投資分析と意思決定のプロセスにESGの課題を組み込みます。
2. 私たちは、活動的な所有者になり、所有方針と所有慣習にESG問題を組み入れます。
3. 私たちは、投資対象の主体に対してESGの課題について適切な開示を求めます。
4. 私たちは、資産運用業界において本原則が受け入れられ、実行に移されるように働きかけを行います。
5. 私たちは、本原則を実行する際の効果を高めるために、協同します。
6. 私たちは、本原則の実行に関する活動状況や進捗状況に関して報告します。
PRIが披露された署名式典では、50もの機関投資家が初期メンバーとして署名した。まず年金基金や保険会社を指す「アセットオーナー」では、公的年金からカルパース、ニューヨーク州退職年金基金、ニューヨーク市年金基金、カナダ年金制度投資委員会(CPPIB)とケベック州投資信託銀行(CDPQ)、フランスの公的年金積立基金FRPと公務員付加退職年金機構ERAFP、オランダの公務員年金ABP、スウェーデンのAP2、南アフリカの政府職員年金基金(GEPF)、イギリスの大学退職年金制度(USS)、国連合同職員年金基金などが、保険会社からはミュンヘン再保険、ストアブランドなどが署名した。また7月までにノルウェー政府年金基金GPFG、スウェーデン公的年金AP3、イギリスの環境庁年金基金なども署名した。
他、運用会社も多数署名している。

SDGs

パリ協定の採択と同じ2015年には、9月に「国連持続可能な開発目標(SDGs)」が誕生している。
SDGsは1992年地球サミットの「アジェンダ21」、2000年に2015年までの国際社会のゴールを定めた「ミレニアム開発目標(MDGs)」から直接の流れを汲んだもので、MDGsの目標期限が2015年に切れるため、その次の15年間の目標を立てるためのものだった。そのためSDGsは、2030年を期限とした新たな国際目標という位置づけで、国連総会で全加盟国の支持を得て採択された。MDGsと同様に、飢餓、貧困、医療、基礎教育、ダイバーシティ、生物多様性、海洋保全、森林保全、気候変動、リサイクルなどで17のゴール、そのゴールを細かくした169の目標が設定されている。

脱資本主義

脱資本主義という考え方もある。この立場の人は、利益が減ったとしても環境・社会への影響を考慮した経済活動が必要だと主張する。ただし、経済活動を全否定するわけではなく、資本主義をスローダウンさせた方がいいというもので、SDGs等既出の概念と重なる部分もあると思う。
ジェイソン・ヒッケル著「資本主義の次に来る世界」には次の項目が緊急課題だと挙げられている。
1. 計画的陳腐化を終わらせる
メーカーは、絶えず買い替え需要を生み出し続けるために、あえて製品寿命を短くしているという指摘がある。本来であれば、もっと長持ちする製品は多くの業界で作れるはずなのだ。買い替えを大急ぎで回すのではなく、長持ちする製品を使おう。
2. 広告を減らす
大量の広告によって、本来必要ないものまで買わされている消費者が多いという指摘がある。これも1番の「買い替えを速く回す」のとつながるものがある。広告はほどほどに(ブロガーにとっても耳が痛い指摘だが)
3. 所有権から使用権へ移行する
私たちは、たまにしか使用しない製品を多く購入している、という指摘がある。芝刈り機や電動工具のような機械は、おそらく月に1度、1、2時間使うだけで、あとは使われずに眠っている。1台の機器を10家族が共有すれば、その製品の需要は10分の1になり、人々は時間とお金を節約できる。
4. 食品廃棄を終わらせる
毎年、世界で生産される食品の最大50%―20億トンに相当する―が廃棄されている。高所得国では、原因は農家とスーパーマーケットにある。農家は見栄えのよくない野菜を処分し、一方、スーパーマーケットは、過剰に厳しい賞味期限を設け、攻撃的な広告を行い、まとめ買い割引や、1個買えばもう1個無料と言った作戦を展開する。結局、家庭では、購入する食品の30%~50%を捨てることになる。
理屈から言うと、食品廃棄を終わらせれば、現在必要とされている食料を確保しつつ、農業の規模を半分に減らすことができるのだ。そうすれば、世界のCO2排出量は最大13%削減され、同時に、最大24億ヘクタールの土地を野生動物の生息地と炭素隔離のために利用できるようになるだろう。
5. 生態系を破壊する産業を縮小する
化石燃料産業や牛肉産業を縮小した方が生態系・森林破壊などの防止につながるという指摘がある。牛肉を非反芻動物(ニワトリなど)の肉や、豆類などの植物性たんぱく質に切り替えると、約1100万平方マイルの土地が解放される。これは、アメリカ、カナダ、中国を合わせた面積に相当する。この単純な移行によって、地球上の広大な土地を、森林や野生動物の生息地に戻すことができる。併せて、新たなCO2の吸収源が生まれ、IPCCの試算によると、CO2排出を最大で年間8ギガトン削減できる。
他にも縮小を検討できる産業は多い。軍事産業、プライベートジェット産業、使い捨てのプラスチック製品やコーヒーカップの製造、SUV車、マックマンション(粗製乱造された豪邸)などだ。



資本主義再考

上記のような話を聞かされると、「本当にそこまでエコを気にする必要があるのか!?」等といぶかしく思う人も多いかもしれない。しかし、地球環境を維持するためには行動を起こす必要がある、あるいは資本主義は必然的にクールダウンの時期に差し掛かっている、といった考え方には、広くエリート的な人たちのコンセンサスがあるようだ。
ビルゲイツなどは、2050年までにCO2排出をゼロにしないといけない!と言い切っている。温室効果による気候変動で、暴風雨の頻発や干ばつのリスクが上がること、農作物の収穫量が減る可能性等を指摘している。
ちなみにビルゲイツはCO2温暖化にはちゃんと科学的根拠があると言っている。太陽から受け取るエネルギー、日射は、吸収されることなくほとんどの温室効果ガスをそのまま通り抜ける。そして、その大部分が地上に達して地球を暖める。
問題はここにある。地球はこのエネルギーを全て永久に保っておくわけではない。保っていたら、すでに人間が暮らせないほどの暑さになっているはずだ。地球はこのエネルギーの一部を宇宙に向けて放射し返す。そしてこのエネルギーの一部は、ちょうど温室効果ガスに吸収される波長範囲で放出される。おとなしく宇宙に出ていくのではなく、温室効果ガスの分子にぶつかって振動を速め、大気を温めてしまうのだ。
全てのガスがこのような働きをしないのはなぜか。窒素(N2)や酸素(O2)の分子など、同じ原子二つからなる分子は、放射線をそのまま通過させるからだ。二酸化炭素やメタンのように、異なる原子からできている分子だけが、放射線を吸収して熱を帯びる構造をしている。
「なぜ経済成長率がこれほど落ちてしまったのか?」との嘆きが経済学者や経済評論家から漏れ聞こえてくるが、また一方には「これでいいのだ」という風に開き直る評論家もいる。山口周氏などは、「古代以来、私たち人類は常に『生存を脅かされることのない物質的社会基盤の整備』という宿願を抱えていたわけですから、現在の状況は、それがやっと達成された、言うなれば〈祝祭の高原〉とでも表現されるべき状況です」と述べ、低成長は何ら悲しむべきことではなく、むしろ新たな時代の到来を歓迎すべきであるようにとらえ、「ビジネスの使命は終わった」とまで言い切っている。
そもそも資本主義というのは一種の特異なシステムであり、終わりが来るのは当然のことだとみなす向きもある。資本主義の勃興期は、世界史の教科書にも載っている「囲い込み運動」というのが頻発していた。貴族、教会、中産階級の商人たちが団結し、ヨーロッパ全土で暴力的な立ち退き作戦を展開し、小作農を土地から追い出した。農民が共同管理していたコモンズ、すなわち牧草地、森林、川は策で囲われ、上流階級に私有化された。つまり私有財産になったのだ。追い出された農民は工場労働者になるしかなかった。
植民地化も資本主義の出発点とはよく言われる。ヨーロッパ人が未開の地を開拓し、現地人を奴隷化することで収奪のシステムができた。
囲い込みや植民地化によって、「本源的蓄積」の条件が整った。商人と商人(消費者)が貨幣を媒介に経済活動を展開するだけでは、それは単に「市場経済」が生まれるだけであって、必ずしも「資本主義」にはならないのである。「本源的蓄積」があってはじめて資本主義が駆動し始める。
ただ発端が暴力的なエネルギーだったとしても、資本主義は人類が物質的豊かさを達成するためには避けて通れない道だったのかもしれない。例えば石油化学コンビナートを作るのには2兆円かかると言われているが、商人と商人との個々の取引で、いきなり2兆円というビジネスがポンと生み出せるものではない。鉄道の敷設にしても原発の建設にしてもしかり。やはり資本主義のシステムが無ければ、20世紀の産業の大半は動いて行かない宿命だったのだろう。
20世紀の経済成長は、グラフで見ると異常なほどだ。特に大戦後の数10年間が世界史的に見て異常な経済成長を遂げただけであり、その数10年間を経た後に成長率が落ちることは不思議なことではない、と論じる識者も多い。暴力的なエネルギーによってドライブをかけられた経済が「資本主義」であるのならば、なおさらスローダウンさせた方が地球にやさしいと言えるのかもしれない。

資本主義の結末は!?

SDGs等の概念でスムーズに持続可能な社会への移行が進めばいいのだが、私たちは、「資本主義の転換を決めた」と仮に思ったとしても、安穏とはしていられないかもしれない。20世紀型資本主義の残滓のようなものは当然のごとく社会に覆いかぶさっており、それをさっぱり脱ぎ捨てられると思うのは虫が良すぎる話かもしれない。
マネーが増え過ぎている、という指摘がある。資本主義は金融機関を中心に、融資→融資→融資を繰り返して、マネーを拡大させていく仕組みと見ることもできる。融資を受けた、借金した側は、当然「利子」を付けて返さなくてはならない。利子を付けるということは、当初のおカネより増えるということを意味するから、当然、世の中の貨幣量は増えていくはずだ。国家による税制によってマネーを消滅させられる、と考えることもできるが、金融所得課税、金融資産課税はなかなか世の中に定着しない。今の世の中全体の経済は、金融が8割でそれ以外の産業が2割に過ぎないという指摘もある。世の中のマネーの8割を金融部門が動かしているのだ。これを「しっぽが胴体を振り回している」と表現する人もいる。デリバティブの総量はリーマンショック時の数倍に膨れ上がっているという指摘もある。バブル崩壊がいつ起きてもおかしくない、という認識はあってもいいかもしれない。
かつて、アルヴィン・ハンセンという経済学者が、経済学会の講演でアメリカの長期停滞について論じたことがあったそうだ。
彼が、アメリカ経済の長期停滞入りが不可避だと主張した理由は、次のようなものだった。つまり、アメリカ経済が完全雇用に達するには、十分な規模の民間投資が必要だが、それは次の3つの理由により困難になっているとハンセンは主張した。第一は、人口増加が減退しつつあること、第二は、大規模な投資を誘発する上で十分な規模のイノベーションを起こせないでいること、そして第三は、新たな領土拡張に伴って必要となってきた投資機会が、もはや消滅してしまったことである。
これがいつの時代の講演か、皆さんはすぐにピンとくるだろうか?
これは1938年の講演なのである。翌1939年には第二次世界大戦が勃発し、皮肉にも戦争経済がアメリカに好景気をもたらしてしまった。
これは陰謀論のような話だが、戦争によって「好景気よもう一度」と考える勢力が世の中にいないかどうか、私たちはほんの少しぐらいは疑ってみてもいいかもしれない。

参照、引用元
「資本主義の新しい形」諸富 徹 著

「地球の未来のために僕が決断したこと」ビルゲイツ著

「資本主義の次に来る世界」ジェイソン・ヒッケル著

「ゼロからの資本論」斉藤幸平 著

「ESG思考」夫馬賢治 著

「持続可能な地域のつくり方」筧裕介 著

「ビジネスの未来」山口周 著






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