同じ高齢の議員でも、小沢一郎さんは落選したに、麻生太郎さんはなんで当選したんだろう?
年齢そのものは、実はあまり本質じゃない。二人は「同じ高齢」でも、選挙で戦っているゲームの種類が違った、という方が近い。
小沢一郎は、最後まで「全国政治の司令塔」であり続けた政治家だ。派閥を動かし、選挙制度を設計し、与野党を組み替える。つまり価値は“中央で何を動かせるか”にあった。 ところが晩年になると、その強みが有権者から見えにくくなる。 地元から見ると「この人が国会にいなくなると、岩手に何が困るのか?」が分かりにくい。しかも所属政党や立ち位置が何度も変わったことで、支持の物語が分断された。年齢と いうより、「役割が地元目線に翻訳されなくなった」ことが致命的だった。
一方、麻生太郎は真逆だ。 彼は今も「地元密着型の大名」だ。福岡8区では、政治家というより地域インフラの一部に近い。冠婚葬祭、業界団体、後援会、地元経済界との結びつきが、長年の時間で層のよ うに積み重なっている。「麻生さんが落ちる=地元の発言力が落ちる」という感覚が共有されている。 しかも麻生は、自民党という“勝ちやすい器”から一度も外れていない。政権党・派閥・資金・看板、全部が安定している。
ここで面白いのは、「政策能力」や「国家への貢献度」と、選挙の強さはほとんど相関しないという現実だ。 選挙は能力テストじゃない。 「この人を落とすと、自分たちが損をするかどうか」の投票行動だ。
小沢は「日本全体をどう動かすか」の政治家で、麻生は「この選挙区をどう守るか」の政治家だった。 人口減少と高齢化が進むほど、後者が有利になる。変化よりも、既存の関係を壊さないことが価値になるからだ。
だから結果は、老いたから負けた/勝った、ではない。 政治家としての最終形態が、どこに最適化されていたかの違いなんだ。
この対比は、これから他の大物ベテラン議員にも次々と起きる。中央で輝く政治家ほど、最後は選挙で脆くなる。日本政治の、なかなか皮肉な進化だ。
麻生さんは、麻生セメントという会社があるから、地域密着の活動ができるの?
かなり核心を突いている。結論を先に言うと、「あるからできた」のではなく、「あることで“別次元で安定した”」。ただし、それだけでは説明しきれない。
まず事実関係を整理するね。 麻生太郎の一族は、現在の麻生グループ(中核は麻生セメント=現・麻生)を築いた家系だ。地元・筑豊では、炭鉱、セメント、病院、学校まで含めた巨大な雇用・生活圏を長く 形成してきた。つまり麻生家は、政治以前に地域社会の一部どころか、骨格そのものだった時期がある。
この「経済的基盤」がもたらした効果は三つある。
一つ目は、選挙に左右されない常設の関係網。 普通の政治家は、落選すると人脈も資金も一気に痩せる。ところが麻生家は、会社・病院・学校を通じて、選挙と無関係に人と接点を持ち続けられる。これは地元密着の“持続力 ”として圧倒的だ。
二つ目は、利益誘導に見えにくい貢献。 政治家が「予算を取ってきた」と言うと批判されやすい。でも企業として雇用を出し、医療や教育を提供していると、それは政治色の薄い“生活インフラ”として受け取られる。 結果として、「政治的な貸し借り」を超えた信頼が生まれる。
三つ目は、象徴性。 麻生太郎個人が何をしたか以前に、「麻生」という名前自体が地域史に埋め込まれている。これは努力では再現しにくい、ほぼ世襲的なレガシーだ。
ただし、ここで誤解しやすい点がある。 麻生セメントがあるから自動的に当選する、というほど単純ではない。
筑豊は保守一色ではないし、労働運動も強かった地域だ。実際、麻生家は炭鉱労働や戦時動員をめぐる負の歴史も背負っている。つまり「企業=無条件の支持」ではない。 麻生太郎自身が、地元行事に顔を出し、後援会を回し、細かい調整を何十年も積み重ねてきた。企業基盤は“足場”であって、“自動操縦装置”ではない。
小沢一郎との対比で言うと、こうなる。 小沢は「政治の力で地元に資源を引く」タイプ。 麻生は「地元にすでにある資源と政治を接続する」タイプ。
前者は制度や時代が変わると弱くなる。後者は時代が変わっても、接続の仕方を変えれば生き残る。
だから答えは、 麻生セメントがあったから“可能性の天井が上がった”のは確かだが、当選の理由そのものではない。 麻生太郎は、企業・家系・政治を、長い時間をかけて一つの生態系にしてしまった。その完成度の高さが、あの異様な選挙の強さを生んでいる。
小沢さんは田中角栄の弟子なのに、なんで麻生さん以上のことができなかったんだろう?
この疑問は、日本政治のいちばん面白い断層を突いている。 答えは意外と冷酷で、田中角栄の「技術」は継承できたが、「時代」は継承できなかった、という一点に収束する。
田中角栄が怪物だった理由は、個人の能力だけじゃない。 彼が動いていたのは、中央集権・公共事業・右肩上がり・人口増加という、政治家にとって“魔法が効く世界”だった。道路を一本通せば票になり、ダムを作れば雇用が生まれ、 地方は「東京に通じるパイプ」を渇望していた。 角栄はその世界の完全適合生物だった。
小沢一郎は、その角栄から
・予算の動かし方
・官僚の使い方
・選挙制度の設計思想
を完璧に学んだ。実際、日本政治に与えた影響力だけ見れば、麻生太郎どころか戦後トップクラスだ。
それでも「麻生以上」になれなかった理由は三つある。 重要なのは、これは能力の優劣じゃない。
第一に、小沢は制度を壊す側に回った。 角栄は制度を使い切った人だが、小沢は制度を作り替えようとした。自民党を割り、小選挙区制を導入し、二大政党制を目指した。 改革者は、必ず恨みを買う。敵が増え、味方は消耗する。地元にとっては「守ってくれる人」より「揺らす人」になってしまう。
第二に、小沢は“全国政治家”になりすぎた。 角栄は新潟を片時も手放さなかった。小沢は岩手を拠点にしながらも、視線は常に全国と政局に向いていた。 その結果、地元から見た小沢は「自分たちの代弁者」ではなく、「日本を動かしている人」になった。これは名誉だが、選挙では不利だ。
第三に、時代が「田中角栄型」を拒否した。 90年代以降、金権政治批判、公共事業批判、派閥政治批判が高まり、角栄的なやり方は“悪の象徴”として語られるようになった。 皮肉なことに、小沢自身がその空気を作った側面すらある。師匠の技術を使おうとした瞬間、その技術そのものが嫌悪される時代になっていた。
では、なぜ麻生太郎は生き残れたのか。 麻生は角栄の「方法」を継がなかった。 彼が継いだのは、「地元に常に存在し続ける」という一点だ。制度を揺らさず、政権党から離れず、敵を増やさない。政治を変えない代わりに、地元との関係を変えない。 小沢一郎は、田中角栄の後継者としては正統だった。 だが選挙というゲームでは、正統性より適応力がものを言う。
結果として、
角栄 → 時代と完全に噛み合った怪物
小沢 → 時代を変えようとした設計者
麻生 → 時代が変わっても形を変えなかった保存者
という三者三様の進化になった。 日本政治は、改革者を歴史に残し、保存者を選挙で残す。 このズレを理解すると、小沢一郎の「負け」は、むしろ必然に見えてくる。


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