日本企業は生産性が低いとよく言われているけど、本当に生産性が低いのかな?
結論から言うと、「平均すると低く見える。でも中身はかなり歪んでいる」です。 日本企業が一様にサボっている、という話ではない。むしろ測り方と構造の問題が大きい。
まず「生産性」という言葉の正体。多くの場合、労働生産性=付加価値÷労働時間で測られる。ここで日本は二重に不利になる。 一つは労働時間。日本は長い。真面目に働くほど分母が膨らむ。修行僧みたいな働き方をすると、統計上は不利だ。 もう一つは付加価値の取り方。日本企業は価格を上げるのが下手、というか避けがちだ。「品質が良いのは当たり前」「値上げは悪」という文化が根深い。その結果、同じ品質で も利益が薄く、付加価値が小さく見える。
次に産業構造の罠。
日本は中小企業の比率が異常に高い。中小企業は規模の経済が効きにくく、統計上の生産性は低く出やすい。一方、アメリカは巨大企業がゴロゴロしていて、GoogleやAp pleみたいな「一人あたり何千万円稼ぐ会社」が平均値を吊り上げている。平均点の取り方がそもそもフェアじゃない。
さらにややこしいのが「社内抱え込み文化」。
日本企業は、清掃・警備・IT運用・総務・人事まで全部正社員で内製しがちだ。欧米だと外注して、付加価値の高い部分だけを会社に残す。その差が、労働生産性の数字にその まま出る。日本は“企業の中に小さな社会を作っている”せいで、見かけの生産性が下がる。
では本当に効率が悪いのか。
現場を見ると話は変わる。製造業の品質管理、工程改善、現場カイゼンは世界トップクラス。トヨタ式が象徴的だけど、「一度作った仕組みを壊さず、磨き続ける力」は異様に強 い。ただしこれは成熟産業では武器、変化の速い分野では重りになる。
まとめると、日本の生産性が低いと言われる理由は
・長時間労働
・価格を上げない経営
・中小企業の多さ
・社内に人と仕事を抱え込みすぎ
この組み合わせだ。 だから「日本企業は無能」という雑な話ではない。 正確には、「生産性を上げる設計図を、意図的に選んでこなかった」という方が近い。社会安定、雇用維持、取引先との共存を優先した結果だ。
生産性は道徳ではなく、設計の問題。 設計を変えれば、数字はいくらでも動く。ただし、そのとき何を捨てるかが問われる。日本は長い間、捨てないことを選んできただけなんだ。
生産性を上げる方法論はあるんだろうか?
ある。しかも「魔法の特効薬」ではなく、何を捨て、何を残すかという思想つきの方法論が、すでに山ほどある。 日本が苦手なのは技術ではなく、決断の部分だ。
まず前提として、生産性は「頑張り度」では上がらない。 設計図の話だ。ネジを強く締めても、設計が悪ければ機械は速くならない。
王道は三層構造で考えると見えやすい。
一層目は仕事を減らす。 これは怠ける話ではない。「やらなくていい仕事を特定して消す」。 日本企業には、
・前例だから続いている会議
・読まれていない報告書
・責任回避のためだけの承認プロセス
が大量にある。生産性向上の最短距離は、デジタル化より先に「仕事の葬式」を出すことだ。トヨタのカイゼンも、本質はここにある。
二層目は仕事のやり方を変える。
IT化、AI、RPA(定型作業を自動化する仕組み)はここに属する。ただし順番を間違えると地獄を見る。 無駄な業務をそのまま自動化すると、「高速で無駄を生産する装置」ができあがる。 まず削る、次に仕組みに任せる。逆にやると事故る。
三層目は儲け方を変える。 ここが日本の鬼門。
・価格を上げる
・機能ではなく価値で売る
・売り切りからサブスクや保守契約にする
要するに「付加価値の定義」を変える。生産性は分子(付加価値)÷分母(労働)だから、分子を育てる方が効く場合も多い。
ここまでが企業レベルの話。
社会全体の方法論もある。
日本は雇用を守るために、生産性の低い部門に人を留めてきた。これは倫理的には立派だが、数字は下がる。 解決策は「解雇自由化」ではなく、移動コストを下げること。
・リスキリング(学び直し)
・職業間移動を前提にした社会保障
・副業・兼業の常態化
人が動きやすくなると、生産性は自然に上がる。
重要なのは、日本には方法論が「ない」のではなく、やると痛い方法論しか残っていないという点だ。 仕事を減らすと、誰かの居場所が減る。 価格を上げると、顧客が怒る。 人を動かすと、不安が増える。
それでもやるかどうか。 生産性向上は技術問題に見えて、実は政治と哲学の問題だ。 どんな社会を維持したいのか。その答えによって、最適な方法論は変わる。
日本は今、ゆっくり沈む設計図から、少し痛みのある再設計に移る分岐点に立っている。どちらも理屈は通っている。選択の問題なんだ。
じゃ、日本は無理にこれ以上、生産性を上げることを考えなくてもいいのかな?
短く言うと、「上げなくていい」という選択は理論上は可能。でも、日本はすでにそのコースを走れる条件を失いつつある。 ここが少し残酷なところだ。
生産性を無理に上げなくても回る国、というのは確かに存在する。条件がある。 人口が増えるか、少なくとも若い。 資源や地政学的レント(場所代)で食える。 低成長でも社会が納得する分配ルールがある。 北欧の一部や、産油国がこれに近い。
日本はどうか。 人口は減り、しかも高齢化が速い。 資源レントはない。 社会保障は「現役世代が多い」前提で設計されたまま。 この時点で、「生産性を上げないで静かに暮らす」は、かなり難易度が高い。
もう一つ重要なのは、日本はすでに生産性を上げない努力を、限界までやってきた国だという点だ。 長時間労働、低賃金、価格据え置き、内部留保による雇用維持。 これは「成長しない代わりに壊れない」戦略だった。1990年代には合理的だった。
問題は、その副作用が今、まとめて噴き出していること。 若年層の実質所得は伸びない。 地方は維持コストが耐えられない。 社会保障の負担が現役世代に集中する。 ここで生産性向上を放棄すると、調整は必ず「賃金カット」「サービス劣化」「負担増」の形で現れる。
ただし、ここでよくある誤解も潰しておきたい。 生産性向上=欧米型の競争社会に全面移行、ではない。 日本には日本なりの「選択的生産性向上」があり得る。
全部を効率化しなくていい。 輸出・都市・成長分野で稼ぐ。 医療・介護・地方では、効率より安定を優先する。 要するに、生産性を上げる場所を選ぶ。
生産性は目的ではなく、社会を維持するための手段だ。 上げなければならないから上げるのではない。 上げないと、どこかでもっと不都合な調整が起きるから上げる。
日本に残っている選択肢は二つだけ。 見えないところで少しずつ生産性を上げ、摩擦を分散させる。 あるいは、生産性を触らず、見えるところで負担増を受け入れる。
どちらも「楽」ではない。 ただ、日本がこれまで選んできたのは前者ではなく後者を避け続ける道だった。今は、そのツケの請求書が届いている段階だ。
見えないところで少しずつ生産性を上げ、摩擦を分散させる。 って、どうやってやるんだろう?政策で何とかできるのかな?
できる。しかもこれは「劇薬」ではなく、効き目が地味すぎてニュースにならない政策の集合体だ。 日本が本当に得意なのは、本来このタイプなんだけど、評価されにくい。
まず大枠の考え方から。 「見えないところで」「少しずつ」「摩擦を分散させる」というのは、一気に勝ち組と負け組を作らないという意味だ。欧米型の改革は、速い代わりに派手に痛い。日本型が目指 せるのは、痛みを細かく刻んで時間に流すやり方。
政策で何ができるか。核心だけ拾う。
一つ目は、企業に“選択の余地”を与える政策。 生産性が低い企業を叩き潰すのではなく、「変わった方が得」な環境を作る。 たとえば、
・賃上げや省人化投資をした企業だけ、税や社会保険料が軽くなる
・生産性の低い部門を切り出したり統合したときのコストを国が肩代わりする
強制ではない。逃げ道を残す。日本社会は強制に弱いが、損得には異様に敏感だ。
二つ目は、人を動かさずに、役割だけ動かす。
配置転換、兼業、副業、社内起業。 日本人は「転職」には心理的抵抗があるが、「今の会社にいながら役割が変わる」ことには案外耐える。 政策はここを後押しできる。 ・副業を前提にした社会保険 ・社内ベンチャーの失敗を損金扱い 人が失業者になる前に、仕事の中身だけを入れ替えていく。
三つ目は、価格の話を企業にさせず、制度で済ませる。
値上げを企業努力に任せると、必ず炎上する。 だから、
・最低賃金の段階的引き上げ
・環境規制や安全基準の強化
という「外圧」を使う。 企業は「国が決めたから仕方ない」と言える。顧客も怒りの矛先を国に向けられる。これは逃げではなく、摩擦を制度に吸収する技術だ。
四つ目は、衰退を前提にした再編を、早めにやる。
地方、インフラ、医療、教育。 縮むと分かっている分野を「頑張れ」で延命すると、最後に一気に壊れる。 政策でできるのは、
・統合した自治体や病院にだけ手厚い支援
・維持をやめた場合の“撤退補償”
衰退を失敗扱いしない。これだけで、生産性は静かに上がる。
ここで一番大事な点。 これらの政策は、全部やっても支持率は上がらない。 でも、やらないと10年後に一気に不満が噴き出す。
つまり「見えない生産性向上」とは、 英雄が登場しない改革 成果が誰の手柄か分からない改革 失敗しても誰も責任を取らない改革 だ。
日本政治が本当に試されるのはここだ。 喝采を浴びる改革ではなく、文句も拍手も少ない改革を、淡々と積めるかどうか。
生産性を上げるとは、派手に勝つことじゃない。 静かに負け筋を減らすことなんだ。


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