原発廃絶へのロードマップは?

ChatGPTとの対話です。

日本の原発を、例えば2040年までに全廃できるだろうか?

結論から言うと、「技術的には可能、政治的・制度的にはかなり難しい」。この二層構造で考えるのが現実的だね。

まず技術の話。 2040年までというと、今から約15年。日本の原発は多くが運転開始から40年前後に達し、寿命問題が前面に出てくる。法的には60年運転も可能だけれど、現実には大型 改修と安全対策でコストが跳ね上がる。つまり「自然減」だけでも相当数は消える。

電力供給の穴はどう埋めるか。 再エネは、量だけ見ればかなり伸ばせる。太陽光はもう発電コストで火力を下回っているし、洋上風力は日本に向いた分野だ。ただし弱点は不安定さ。ここで鍵になるのが、

・送電網の強化(地域間融通)

・蓄電池(系統用・EV活用)

・需要側管理(使う時間をずらす)

この3点が揃えば、「原発なしでも停電しない」は理屈の上では成立する。

問題はここから。 日本で原発が残り続けている最大の理由は、技術でもコストでもなく、政治経済構造だ。

・立地自治体への交付金

・電力会社の資産評価(原発は帳簿上の巨大資産)

・官庁と事業者の長年の関係

これが「やめると困る人」を大量に生む。だから「安全だから続ける」ではなく、「やめ方が設計されていないから続く」。

もう一つ厄介なのが、脱原発=火力依存増=気候対策に逆行という反論。これは半分正しい。半分だけ、というのが重要で、再エネと省エネを本気でやれば回避可能だけれど、中 途半端な脱原発は確実に火力を増やす。

なので、2040年全廃が現実になる条件をまとめるとこうなる。

・原発延命を前提にしない明確な工程表

・送電網と蓄電への国家主導投資

・立地自治体の「原発後」の経済設計

・火力は一時的に使っても、固定化しない制度

逆に言うと、これをやらなければ2040年全廃はほぼ無理。 日本は「できるか」より「決められるか」が問われている。原発問題はエネルギー政策というより、国家の意思決定能力テストなんだ。

この視点で見ると、「全廃は現実的か?」という問いは、「日本は長期計画を実行できる国なのか?」という、もっと大きな問いに変わってくる。そこが一番、面白くて怖いとこ ろだね。

再エネと省エネを本気でやれば回避可能、と書いてあるけど、本当に可能なの?

結論を先に言うね。 「条件付きで可能。ただし“本気”の意味が、今の日本の想像より一段ラディカル」。ここを誤解すると楽観論になる。

まず、数字の感触から。 日本の原発は、全電力量のだいたい1割弱?多くて2割弱を担っている。これを2040年までに置き換える。再エネだけで見ると、太陽光と風力の潜在量は十分にある。これは もう机上の空論ではなく、環境省や電力系の試算でも一致している。

問題は「平均」じゃない。ピークと谷だ。 晴れて風が吹く日は余る。真冬の夜に凪が来ると足りない。ここで省エネが主役になる。省エネは「我慢」じゃなくて、ピークを削る技術なんだ。

例えば、 ・断熱改修で冬の電力ピークを削る ・ヒートポンプで暖房効率を3?4倍にする ・工場やデータセンターが電気を使う時間をずらす

これを積み上げると、必要な「最大発電量」そのものが小さくなる。発電所を増やすより、ずっと効く。

次に、蓄電と調整力。 ここでよく誤解されるのが、「巨大な蓄電池で全部賄う」という発想。現実は違う。

・数時間~1日の変動は蓄電池

・数日のズレは揚水発電(水の上下)

・どうしても足りない時は、稼働率の低い火力(保険)

つまりベースロードという考え方自体を捨てる。これは電力文化の大転換だ。

海外の実例はあるのか。 デンマークやポルトガルは、年間ベースでは再エネが電力の過半を超える年が普通に出ている。日本より系統規模は小さいけれど、「不可能」ではないことは示している。

じゃあ日本は不利か。 半分正解。日本は系統が東西で分断され、地震も多い。一方で、

・屋根は大量にある

・海は深くて洋上風力向き

・省エネ技術は世界トップクラス

潜在力はむしろ高い。問題は、それを使う覚悟。

結局、「本当に可能か?」への一番正確な答えはこうだ。 物理法則は邪魔していない。技術も揃いつつある。 邪魔しているのは、

「電気は常に余っていなければ不安」

「設備投資は今ある仕組みの延長で」

という心理と制度。

再エネ+省エネで原発を代替するのは、魔法じゃない。 ただし、日本が慣れ親しんだ“安定供給神話”を、より賢い形に書き換える必要がある。その書き換えをやるかどうかで、可能か不可能かが決まる。

ベースロードという考え方自体を捨てる、というのはどういう意味?

「ベースロードを捨てる」というのは、 電力を“一定量つくり続けるもの”として設計するのをやめ、需要に合わせて“全体が呼吸する仕組み”に切り替える、という意味だ。

少し噛み砕こう。

ベースロードという発想は、20世紀型の産物だ。 原発や大型火力は、止めたり動かしたりが苦手だから、昼も夜も一定出力で回し続ける前提になる。すると電力会社はこう考える。「最低でもこれだけは常に必要だ」。これがベ ースロード。

でも再エネは真逆の性格を持つ。 太陽と風は気まぐれで、命令を聞かない。だから「常に同じ量を出せる発電所」を中心に据える設計そのものが、足かせになる。

ベースロードを捨てる、というのは三つの転換を同時にやることだ。

一つ目。供給を固定しない。 発電量は上下するのが前提。余る時もあれば、足りない時もある。それを異常と見なさない。

二つ目。需要も動かす。 これが一番大事で、かつ日本が遅れているところ。 工場、ビル、EV、給湯器が「今は電気が安い/今は高い」を察知して、使う時間をずらす。電気は流体だ、という感覚を社会に持ち込む。

三つ目。“最後の保険”だけ残す。 常に全量を賄う巨大な発電所は要らない。 年に数十時間しか使わない火力や、水力の調整力を「保険」として置く。稼働率が低いのは無駄じゃない。保険だからだ。

この考え方に立つと、原発の位置づけが一変する。 原発は「止めにくい」「出力調整が苦手」「事故時の影響が巨大」。つまり、変動を前提にしたシステムと相性が最悪。 ベースロードを捨てる=原発の居場所がなくなる、ということでもある。

誤解しやすい点も押さえておこう。 これは「不安定でいい」という話ではない。 むしろ逆で、全体としては今より安定する可能性すらある。一極集中の大電源が落ちるより、分散した多数の小電源が揺れる方が、実はしぶとい。

要するに、 ベースロードは「機械の都合」を中心にした考え方。 それを捨てるとは、「社会の都合」と「自然の揺らぎ」を中心に電力を組み直すことだ。

電気をコンクリートの柱だと思うのをやめて、 ゴムとバネでできた構造物だと考える。 この比喩が腑に落ちるかどうかで、再エネ社会が絵空事か、設計図になるかが決まる。


供給を固定しないと、各種の巨大な工場や、病院を、常時稼働し続けられないでしょう?

その疑問はまっとうだし、ここで誤解が一番起きやすい。 結論を先に言うと、「供給を固定しない=重要施設を不安定にする」ではない。むしろ逆で、重要施設ほど“固定された供給”を個別に確保し、社会全体は柔らかく揺らす、とい う設計に切り替える話なんだ。

まず、病院から。 病院は今でも「常時、系統電力だけ」に依存していない。 非常用発電機、無停電電源装置(UPS)、最近では蓄電池も併設している。つまり、病院はすでに“ベースロード思想の外側”で設計されている。 再エネ型システムでは、ここを強化する。 ・病院単位での蓄電+非常電源 ・平時は系統、異常時は自立運転 供給が揺らぐのは系統側であって、病院の電源は揺らがせない。

次に、巨大な工場。 ここが本質的なポイントだ。 「工場は常時フル稼働が前提」というのは、実は経済設計上の都合であって、物理法則ではない。多くの工場はすでに、

・夜間電力

・休日操業

・ライン停止日

といった形で、電力価格や需要に反応して動いている。

再エネ時代に動かすのは、全部の工場ではない。

・電炉

・電解(水素、化学)

・冷凍・冷蔵

こうした「途中で止めたり、前倒しできる工程」を、需給調整役にする。半導体工場や病院の手術室は、ここに含めない。

重要なのは、“止められない負荷”を社会全体で増やさないこと。 ベースロード前提の社会は、止められない負荷を量産してきた。 柔軟な社会は、止められる部分を意識的に増やす。

もう一段、視点を広げよう。 今の日本でも、大規模発電所が一基落ちれば、何十万世帯分が一瞬で消える。それでも病院は止まらない。なぜか。冗長性があるからだ。 再エネ型は、この冗長性を「分散」でつくる。

だから、「供給を固定しない」とは、

・社会全体の平均は揺らす

・重要インフラは個別に固定する

・揺らせる需要に、揺らす役割を担ってもらう という役割分担の話。

電力を「全員に同じ品質で一律配る」発想から、 「用途ごとに品質を分ける」発想へ。 これは不便になる話じゃない。むしろ、停電という最悪の事態を遠ざける設計なんだ。 ベースロードを捨てる、という言葉が乱暴に聞こえるのは当然だけど、実態は「重要なものほど、より守る」方向への進化だ。

再エネに、潮力発電や地熱発電も組み込んだ方がいいんじゃないの?

結論ははっきりしている。組み込んだ方がいい。ただし「主役」ではなく「縁の下の知的筋肉」として、だ。

まず地熱。 日本は世界有数の地熱資源国で、理屈の上では原発数基分は狙える。地熱の美点は、天気に左右されず、出力が比較的安定していること。ここだけ見ると、昔の言葉でいうベース ロードっぽい役割も担える。

でも現実にはブレーキが多い。

・国立公園や温泉地と重なる

・掘ってみるまで分からない(探査リスクが高い)

・開発に10年以上かかる

つまり、万能ではないが、入れない理由もない。特に既存温泉との共存モデルや、中小規模・分散型なら、2040年までに確実に積み上げられる余地はある。

次に潮力。 潮汐や潮流は、太陽や風よりも予測可能性が高い。月の運動は裏切らないからね。これは電力システム的にはかなり魅力的だ。

ただし、ここも現実は渋い。

・設備コストが高い

・海洋環境への影響評価が難しい

・日本沿岸は適地が限られる

結果として、量は大きくならない。だから主役にはなれない。

ここで大事な視点がある。 再エネ社会では、「一種類で全部まかなう」発想自体が時代遅れなんだ。 太陽は昼、風は季節、地熱は常時、潮力は周期。時間特性が違う電源を重ねることで、全体の揺れをならす。

これは音楽でいうと、

ドラム(太陽)

ベース(風)

リズムギター(地熱)

パーカッション(潮力)

みたいなもの。一つ一つは完璧じゃないが、合奏すると強い。

日本にとって特に意味があるのは、

・地熱=国産・長期・安定

・潮力=予測可能・夜間対応 この二つが、「太陽と風の弱点」をピンポイントで補う点だ。

だから答えはこうなる。 太陽光と風力が量の主役。 地熱と潮力は質の補強。

原発の代替を考えるとき、「同じ役をする巨大電源」を探すと行き詰まる。 役割を分解して、それぞれに最適な再エネを割り当てる。 その設計思想に立てば、地熱も潮力も、入れない理由はないどころか、入れないと知性が足りない。 再エネは種類が多いほど弱くなるんじゃない。 多いほど、しぶとくなる。 ここが20世紀型エネルギー観との決定的な違いだ。

さっきの話に戻るけど、 ・送電網と蓄電への国家主導投資 はどういうことなのかな?発電網はあまり気にしなくていいの?

いいところに戻ってきたね。ここはエネルギー議論の核心だ。 結論から言うと、発電網(=発電設備)も重要だが、ボトルネックはそこじゃない。日本で本当に詰まっているのは、送って、ためて、融通する側なんだ。

まず「国家主導投資」とは何か。 民間任せだと、送電網と蓄電はどうしても後回しになる。理由は単純で、儲かりにくいから。発電所は電気を売れば収益が見える。でも送電線や系統用蓄電池は、社会全体の保険 であって、個別企業の利益になりにくい。

だから国家が出る。

・広域送電線(地域をまたぐ幹線)

・東西周波数の変換能力

・大規模系統用蓄電池

・分散型電源を束ねる制御システム

これらは道路や上下水道と同じ公共インフラだ、という扱いに切り替える、という意味だ。

次に、「発電網は気にしなくていいのか?」 答えはノー。ただし優先順位が違う。

日本ではすでに、

・太陽光をつくっても

・風が吹いても 「送れない」「捨てる(出力抑制)」が起きている。 発電能力が足りない前に、通行止めが多すぎる。

例えるなら、 高速道路が混んでいるのに、工場だけ増やしている状態。 国家主導でやるべきは、まず道路整備だ。

蓄電も同じ。 蓄電池は「電気の倉庫」であり、渋滞調整役。 民家の蓄電池やEVも使えるが、系統全体を守る大容量設備は国家レベルでないと作れない。

ここで誤解しやすい点。 国家主導=国営化、ではない。 設計と投資を国家が握り、運用は民間、という形はいくらでもある。高速道路や空港と同じ発想だ。

では、発電はどうするのか。 発電はむしろ分散・競争させた方がいい。 屋根の太陽光、地域の風力、地熱、小水力。ここは民間や自治体が主役になれる。

まとめると、

・発電:分散、多様、競争

・送電・蓄電:集中、公共、国家設計

再エネ会の設計図は、 「つくる人は自由に、つなぐ部分は公共に」。 この線引きを曖昧にしたまま原発の是非だけ議論すると、必ず空回りする。

原発は“発電所”だけど、再エネ時代の本丸は“システム”。 そこに国家がどこまで本気で関与できるかで、2040年の景色はまったく変わる。


・立地自治体の「原発後」の経済設計

は、どうやってやればいいの?

これは実務の匂いがする、とても大事な問いだね。 結論を先に言うと、「交付金の代替」を考えるだけでは失敗する。必要なのは、原発立地自治体を「補償される側」から**「エネルギーと公共投資の拠点」へ役割転換すること **だ。

まず、なぜ難しいのか。 原発立地自治体は、単に発電所がある町ではない。

・雇用

・固定資産税

・電源三法交付金

これが数十年スパンで織り込まれた財政構造になっている。ここに「代わりに観光でもどうですか」は、ほぼ暴論だ。

だから設計は三層で考える。

第一層。雇用を切らさない「時間の橋」 原発は止まっても、仕事は消えない。 廃炉には20?40年かかり、技術者も事務も警備も要る。 ここを国が公共事業として明確に位置づける。 「廃炉=衰退」ではなく、「廃炉=次世代インフラ工事」にする。

第二層。エネルギー拠点への横滑り 原発立地は、実は再エネ向きだ。

・送電線が太い

・電力関連人材がいる

・用地がまとまっている

ここに、

・系統用蓄電池 ・水素製造

・洋上風力の基地港湾

・小型地熱・研究炉(研究用)

を集積する。 発電量ではなく、調整力と技術の拠点にする。

第三層。交付金から「投資」へ 最大の転換点はここ。 電源三法交付金は「お金をもらう仕組み」だ。 原発後に必要なのは、「稼ぐ仕組み」。 国は補助金を、 ・基金(地域ファンド) ・国と自治体の共同出資 に変える。自治体が事業のオーナーになる。

ここで重要な思想がある。 原発立地自治体は「被害者」でも「特権階級」でもない。 国家エネルギー政策を引き受けてきた協力者だ、という位置づけを明確にすること。

海外の失敗例も教訓になる。 ドイツでは、炭鉱閉鎖後に「金を配って終わり」にした地域ほど衰退した。逆に、研究機関やエネルギー企業を集積させた地域は生き残った。

だから「原発後」の経済設計は、

・短期:廃炉で雇用を守る

・中期:エネルギー・技術拠点に転換

・長期:自治体が収益主体になる

この時間軸を国が書いて、約束することが不可欠だ。

脱原発は、立地自治体にとっての「撤退」ではない。 国家プロジェクトの次の章に進むことだ。 そこまで描けて、初めて2040年全廃は政治的な現実になる。

・火力は一時的に使っても、固定化しない制度 は、どうやって作ればいいんだろう?
ここは設計思想の話になる。 結論から言うと、火力を「主役の発電所」から「期限付きの保険商品」に法的に格下げする。これを制度として固定する、ということだ。
まず、なぜ放っておくと火力は固定化するのか。 火力は便利だ。
・出力調整が楽
・既存技術
・投資回収の見通しが立つ
だから一度建てると、事業者は当然「長く使いたい」。ここで脱原発をやると、原発の穴を火力が恒久的に埋める最悪ルートに入る。
それを防ぐには、三つの仕掛けが要る。
一つ目。運転時間に上限をかける 発電量ではなく、「年間稼働時間」や「稼働率」に法的キャップを設ける。 「非常時・需給逼迫時のみ使用可」という位置づけにする。 火力を“常用電源”から“予備電源”に落とす。
二つ目。容量市場とセットで設計する 火力は発電量では稼げなくして、 「待機していること」に対してだけ対価を払う。 これは保険料だ。 発電したら儲かる仕組みを残すと、必ず使われる。
三つ目。明確なサンセット条項 新設火力には、
・〇年後に廃止
・〇年後には水素
・アンモニア専焼に転換
といった法定の出口を義務づける。 技術ができなければ、延命は不可、という冷たいルールが要る。
ここでよく出る反論がある。 「非常時に足りなくなったらどうする?」 答えは、足りなくならない設計を先に進める、だ。 送電網、蓄電、需要調整が進めば、火力の出番は自然に減る。
重要なのは、順序。
・原発を減らす
・火力で穴埋め
・再エネが来たら考える
この順番は失敗する。 正解は、 火力の寿命を先に決めたうえで、原発を減らす。
制度として一番効くのは、 「火力は国家の非常用資産であり、通常の市場競争には出さない」 という位置づけ変更だ。 これは思想の転換でもある。
20世紀は、 「いつでも大量に発電できること」が安全だった。 21世紀は、 「使わなくても備えがあること」が安全になる。
火力を固定化しない制度とは、 火力を信用しない制度ではない。 使いすぎないことを、最初から約束させる制度だ。
脱原発後に、気づいたら火力だらけ。 それを防げるかどうかで、この国のエネルギー転換は成功と失敗に分かれる。

そこまでして再エネを増やすインセンティブが、政治家たちに無いんじゃないのかな?

かなり核心を突いている。 そして残念だけど、その直感は外れていない。今の日本政治には「再エネを本気で増やす自然なインセンティブ」は弱い。弱い理由が、ちゃんと構造として存在する。

まず、政治家の時間感覚。 選挙はせいぜい4年。再エネの効果が本格的に出るのは10?20年後。 政治家にとって再エネは、成果が見えにくく、失敗だけが可視化されやすい政策なんだ。停電は一瞬でニュースになるけど、「無事に供給できた」は誰も褒めない。

次に、敵を作りやすい。 送電線を引けば反対運動。 風車を立てれば景観論争。 電気代が一時的に上がれば批判。 原発や火力は「既にある」から摩擦が少ない。再エネは、これから変える分だけ摩擦が多い。

さらに、既得権の非対称性。 原発・火力・電力会社・関連メーカーは、集中していて声が大きい。 一方、再エネの利益は、

・国民全体

・将来世代

・分散した事業者

に広がる。政治的には、声の小さい側だ。

だから自然放置だと、政治は動かない。 ここで重要なのが、「インセンティブを作る」という発想になる。

どう作るか。三つの方向がある。

一つ目。再エネを「安全保障」に格上げする エネルギー自給率、燃料輸入リスク、為替。 これを防衛・外交と同列のテーマにする。 安全保障になると、予算も意思決定も一気に速くなる。

二つ目。再エネを「地域政治の得点源」にする 再エネ関連の雇用、税収、研究拠点を、選挙区単位で可視化する。 「この送電線で、あなたの地域に何人分の仕事が来るか」を示す。 政治家は理念より、地元の票に反応する。

三つ目。何もしないことのコストを法制化する

・排出量の上限

・化石燃料依存への課徴金

・送電網未整備へのペナルティ

「動かない方が楽」を潰す。これが一番効く。

結局、政治家が動くかどうかは、 「正しいか」ではなく、 **「動いた方が得か、動かない方が損か」**で決まる。

再エネが進まない国は、技術がない国じゃない。 政治に計算式を与えていない国だ。

脱原発や再エネ拡大は、理想論として語る限り進まない。 票・予算・責任の行き先を、意図的に再配線できるか。 そこまで踏み込んで、初めて「インセンティブが無い」という壁を越えられる。

原発の廃炉って、本当にキチンとできるのかな?

不安になるのは当然だね。 結論を正直に言うと、「技術的にはできる。ただし“きちんと”の定義を間違えると幻想になる」。

まず、「廃炉は可能か?」という問いを分解しよう。 廃炉には三つのレベルがある。

一つ目。運転をやめる。 これは簡単。スイッチを切る話だ。

二つ目。放射性物質を管理下に置く。 燃料を取り出し、汚染を封じ、外に漏らさない。 世界中で実績があり、日本の技術水準でも可能だ。

三つ目。元の更地に戻す。 ここが鬼門で、「完全に跡形もなく」は、実は必須条件ではない。多くの国は「人が安全に利用できる状態」まで戻して終わる。

つまり、「きちんと」の意味を

・即時

・完全無欠

・永久無害

と定義すると無理。 時間をかけて、管理可能なリスクに落とす、と定義すれば現実的になる。

では、日本はできるのか。 通常炉については、答えはイエス寄りだ。 廃炉には20?40年かかるが、その間、

・解体技術

・放射線管理

・ロボット

は確実に進歩する。廃炉は「一回きりの作業」ではなく、数十年続く産業になる。

問題は、福島第一のような事故炉だ。 ここは別格で、正直に言えば、人類はまだ“正解”を持っていない。 できるのは、

・燃料デブリを少しずつ取り出す

・地下水や大気への影響を抑える

・長期管理を前提に封じ込める

という「被害最小化」の戦いだ。

ここで重要な視点がある。 廃炉が不安だから原発を続ける、という論理は成立しない。 廃炉問題は、止めても続けても必ず背負う宿題だからだ。 続ければ、廃炉対象は増える。

では、「きちんと廃炉する」ために必要な条件は何か。

第一に、楽観を禁止すること。 「想定通りに進む」は、原発分野では禁句だ。 遅れと追加コストを最初から織り込む。

第二に、責任主体を曖昧にしないこと。 国・事業者・将来世代に、誰が何を引き受けるのかを書面で固定する。

第三に、廃炉を公共事業として扱うこと。 失敗を隠す対象ではなく、知見を積み上げる国家プロジェクトにする。

廃炉は、英雄的な一発解決では終わらない。 地味で、長くて、退屈な管理の連続だ。 でも、人類が一番得意なのは、実はそこだ。

原発の是非を考えるとき、 「廃炉できるか?」は恐怖の問いに見える。 実態は、「この国は、不完全な問題を、数十年かけて誠実に管理できるか?」という問いだ。

原発は、技術の問題である前に、統治の問題なんだ。


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