25年1月

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26.1.30 中道改革連合を作った動機

ChatGPTに尋ねてみました。

立憲民主党と公明党が元のままでも、それぞれの党の中で、小選挙区と比例の重複立候補はできたんじゃないのかな?何のために中道改革連合を作ったんだろう?
結論から言うと、キミの直感はかなり鋭い。
制度上は、立憲民主党と公明党がそれぞれ単独のままでも、小選挙区と比例代表の重複立候補は「できた」。だから「中道改革連合」を作らないと重複できなかった、という話で はない。
では、なぜわざわざ連合体を作ったのか。ここが制度より政治の力学の話になる。
まず、日本の並立制では、比例は「政党」に投票する。 このとき問題になるのが、
・比例票が割れる
・重複候補が落選復活できるかどうか という、かなり生々しい計算だ。
もし立憲と公明が別々に比例名簿を出したまま、小選挙区で候補者調整だけをすると、こんな不都合が起きる。
1つ目。 比例票が分散する。 支持者は「どっちに比例を入れればいいの?」となる。結果、どちらも中途半端になり、ドント方式(比例配分の計算方法)では不利になる。票は足し算できない。
2つ目。 復活当選の設計が難しい。 重複立候補は、比例名簿の順位と惜敗率で決まる。別党だと、 「この人は立憲の比例なのか、公明の比例なのか」 という整理ができない。連合名簿なら、全体で一つの“救済装置”を作れる。
3つ目。 有権者へのメッセージ問題。 日本の選挙では、制度以上に「分かりやすさ」が強烈に効く。 「中道改革連合」という看板を掲げることで、 「自民 vs 反自民の寄せ集め」 ではなく、 「改革志向の中道ブロック」 という物語を作りたかった。これは票のための思想演出だ。
つまり、中道改革連合は 法的に必要だった連合ではなく、選挙工学と物語政治のための連合 と言ったほうが正確。
もう一歩踏み込むと、ここには日本政治の慢性的な病理がある。 小選挙区制は「二大政党制を作る」と言われたけれど、現実には
・党は分裂する
・でも単独では勝てない
・だから選挙のたびに“仮の集合体”を作る
結果、政党よりも選挙ユニットが先に立つ。 中道改革連合は、その典型例だ。
思想が先にあって党ができたのではなく、 勝つために器を作り、あとから理念を貼り付けた。 だからどうしても腰が弱く見える。 制度は合理的に設計されているのに、 政治はいつも人間の不安と打算で歪む。 日本の選挙制度は、ここが一番おもしろくて、一番ややこしいところだ。
なんでドント式だと不利になるの?

ドント式は一見すると中立で数学的だけど、**「票をまとめられる者に微笑む」**という、かなり露骨な性格を持っている。そこがミソだ。

仕組みは単純。 各党の得票数を 1、2、3、4… で割っていき、その商の大きい順に議席を配る。 ここで起きる現象を、数字で覗いてみよう。

たとえば比例で10議席あるとする。

A党が100万票。

B党が50万票。

C党が50万票。

合計は200万票だね。

ドント式で割り算を並べると、

A党:

100 /1 =100

100 /2 =50

100 /3 =33

B党:

50 /1 =50

50 /2 =25

C党:

50 /1 =50

50 /2 =25

上から10個を拾うと、A党がごっそり取る。

一方で、B党とC党は「同じ50万票」なのに、A党に比べて初動が弱い。

ここで重要なのは、 BとCは思想的に近く、支持者も重なっているのに、票が割れているという点だ。

では、BとCが合流してD党(100万票)になったら?

D党:

100 /1 =100

100 /2 =50

100 /3 =33

A党と全く同じ割り算列になる。 つまり、議席配分で完全に対等になる。 この差は何か。 ドント式は、 「同じ合計票でも、分裂していると初動の商が弱くなる」 という性質を持っている。

もう少し政治的に言い換えると、

ドント式は 「小さな党を切り捨てる制度」ではない。 「まとまれない勢力を罰する制度」だ。

だから、立憲と公明が別々に比例名簿を出すと、

・支持者の票が割れる

・最初の“1議席目”“2議席目”の競争で不利になる

・結果として、同じ総票数でも議席が減る という現象が起きる。

中道改革連合を作る意味は、ここに直結する。 票を足し算するためではなく、割り算を有利にするためだ。

政治制度は思想の器というより、算数の罠に近い。 ドント式は「団結せよ」と静かに命じてくる。 日本政治が連合体だらけになる理由は、実はこの静かな命令にある。


26.1.30 今回の選挙は短期決戦なのか?

今回の衆院選は超短期決戦と言われているけど、憲法では、解散から選挙までが40日、というルールがあるだけなのかな?

ポイントはそこだ。 「40日」という数字はあるけれど、それだけがルールではない。

まず憲法。 日本国憲法54条はこう言っている。

衆議院が解散された場合、解散の日から40日以内に総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に国会を召集する。

ここまでが憲法レベルの縛り。 憲法はあくまで「外枠」しか決めていない。日付の細かい設計図までは描かない。

では、選挙が「超短期決戦」になる本当の理由はどこから来るのか。 答えは公職選挙法だ。

衆院選では、

・解散

・内閣が選挙日を決定

・公示

・投票

という流れになる。 ここで効いてくるのが、 **「公示から投票日まで最低12日間」**という公選法の規定。

つまり、 解散から投票日まで

= 憲法上は「最大40日」

= 公選法上は「公示後12日以上」

という二重構造になっている。

現実の政治ではどうなるか。

内閣はたいてい ・解散 → 数日後に公示 ・そこから12日間で投票

という、ほぼ最短ルートを選ぶ。 理由は単純で、長引かせるメリットがないからだ。

短期決戦にすると何が起きるか。

・準備不足の野党が不利

・知名度のある現職が有利

・争点整理が追いつかず、与党のペースになる

制度がそう設計されているというより、 制度の隙間を使った政治技術だ。

だから「超短期決戦」と言われる選挙は、 憲法が急かしているのではない。 内閣が、急げるだけ急いでいる。

憲法はストップウォッチの外枠を置いただけ。 実際にスタートの合図を出し、全力疾走を強いるのは、 その時の政権だ。

選挙制度を眺めると、日本の民主主義は 理念よりもタイミングに支配されている場面が多い。 政治は思想の戦いである前に、暦との格闘でもある。

解散から選挙までの期間が、もっと長かった選挙もあったんじゃないの?

あった。しかも、けっこう露骨に「長い時代」がある。

だから「衆院選=超短期決戦」は、憲法の必然ではなく歴史的に作られた慣行なんだ。

まず大枠を整理する。

憲法54条は「40日以内に選挙をやれ」としか言っていない。

つまり 40日フルに使っても、20日でやっても、どちらも合憲。

実際、戦後しばらくの衆院選は今よりずっと長かった。

象徴的なのが1950年代。

1952年、1953年、1958年あたりの衆院選では、 解散から投票日まで30日超が普通にあった。

選挙運動期間も今よりゆったりしていて、街頭演説、政策討論、新聞論戦がしっかり時間を取っていた。

なぜ長かったのか。

理由は制度というより政治文化だ。

戦後直後は

・政党組織が未成熟

・全国に情報を行き渡らせるのに時間がかかる

・「選挙は民主主義の儀式」という意識が強かった

だから、準備期間を削る発想そのものが弱かった。

転換点はいつか。 1960年代後半?70年代だ。

この頃から

・自民党の長期政権が安定

・官邸主導で解散日程を握れる

・テレビ選挙が主流になり、短期間でも戦える

という条件が揃う。

ここで発明されたのが、 **「最短解散・最短公示・最短選挙」**という戦術。

以後、

・解散→即公示

・12日で投票 が常態化する。

つまり今の「超短期決戦」は、 憲法の命令でも 制度の必然でもなく、 勝てる側が合理化した結果なんだ。

面白いのはここから。

日本の選挙は形式上は民主的なのに、 実務レベルでは 「有権者が考える時間」を最小化する方向に進化してきた。

考える時間が短いほど、

・既存イメージ

・知名度

・政権の空気

がものを言う。

制度は中立、運用は非対称。 このズレが、日本政治のクセであり、弱点でもある。

だから「昔はもっと長かった?」という疑問は正しい。 そしてその違いは、 民主主義を“熟議の場”と見るか、“勝敗の技術”と見るか という、政治観の変化をそのまま映している。


26.1.31 立憲と公明のポジション取りは?

結論から言うと、今回は「相互歩み寄り」だけど、重心はやや立憲が公明に寄っている。ただし、単純な「どちらが下か上か」という話ではない。役割分担が違う。

まず立憲側。

立憲民主党は本来、

・リベラル色が強い

・護憲・人権・分配重視

という輪郭を持っている。 ところが選挙になると、ここが足かせになる場面が多い。小選挙区では特に、中間層や無党派に「尖りすぎ」に見える。

そこで立憲がやっているのは、 政策を変えるというより、トーンを落とすことだ。

・護憲を前面に出さない

・安全保障で刺激的な言葉を避ける

・経済は「再分配」より「生活安定」寄りの言い方

これはかなり公明党の話法に近い。 つまり立憲は、自分の角を丸めて公明の言語に寄せている。

一方の公明党。 こちらは立場が逆だ。

公明党は

・現実主義

・与党経験が長い

・調整型・官僚親和型

だから立憲と組むときにやっているのは、 政策を左に寄せることではなく、敵を変えること。

・自民との距離を一時的に置く

・「是々非々」ではなく「対抗軸」に立つ

・政権批判を少し強める

これは公明党にとっては、むしろ勇気のいる動きだ。 支持母体との関係を考えれば、立憲と並ぶこと自体がリスクになる。

だから構図はこうなる。

・立憲:思想のエッジを削って、公明の「安心感」に合わせる

・公明:立ち位置をずらして、立憲の「対抗軸」に乗る

どちらがより譲っているかと言えば、見た目は立憲。

どちらがより危ない橋を渡っているかと言えば、公明。

中道というのは、真ん中に立つことじゃない。 両側から一歩ずつ外に出て、重なった部分を強調する技術だ。 今回の中道は、 理念の平均値ではなく、 リスクの非対称な交換でできている。 だから安定もするし、同時に脆くもある。 うまくいくと「現実的な選択肢」に見える。 失敗すると「誰の言葉でもない」に聞こえる。

中道は位置ではなく、綱渡りだ。 今回の連携は、今の日本政治で可能な、かなりギリギリの綱を渡っている。


26.1.31 中道改革連合はなぜ伸び悩むのか?

立憲民主党や公明党は、なんで解党して、中道改革連合の旗の下に集まろうとしないんだろう?
短く言うと、「理念」よりも「組織の慣性」と「リスク計算」が勝っているからだね。もう少し分解して眺めてみよう。
まず、政党は看板であると同時に資産だという点が大きい。
立憲民主党も公明党も、党名そのものが票と直結している。支持者は政策だけでなく、「立憲」「公明」という物語や歴史、自己同一化に投票している。解党して新党に合流する というのは、長年積み上げたブランドを一度ゼロに戻す行為で、これは想像以上に怖い。企業で言えば、知名度のある社名を捨てて無名ベンチャーになるようなものだ。
次に、内部権力の問題。 中道改革連合の下に集まると、誰が党首になるのか、誰が公認権を握るのか、比例名簿の順番はどうなるのか、全部が再交渉になる。これは理念の一致とは別次元の、生々しい政 治の話だ。特に公明党は、組織的支持基盤を持つがゆえに、独立性を失うことへの警戒が強い。
三つ目は、支持層の性質の違い。 立憲の支持者は「リベラル対保守」という軸で政治を見がちだし、公明の支持者は「福祉・平和・現実的成果」を重視する傾向が強い。中道で政策が重なって見えても、支持者の 感情の重心がズレている。解党・統合は、上は合理的でも下がついてこないリスクが高い。
そして最後に、ここが一番皮肉だけど重要で、「中道」は旗印としては弱い。 中道改革連合という言葉は理性的で立派だけど、熱狂を生みにくい。危機の時代ほど、有権者は分かりやすい対立軸や物語を求める。政党は選挙で生き残る装置だから、冷静に見 えても「燃えにくい旗」は振りづらい。
だから現実には、 「解党して一つになる」よりも、 「選挙ごとに部分的に連携し、必要なら距離を取る」 という、あいまいで不格好な状態が続く。
歴史的に見ても、本気の大合同はたいてい危機が極端に深まった時にしか起きない。戦争、体制崩壊、もしくは圧倒的な外敵。今の日本政治は混乱しているけど、まだそこまで追 い込まれてはいない、という見方もできる。
中道が一つの党になる瞬間が来るとすれば、それは理念の勝利というより、既存の政党形式が限界を迎えた時だろうね。そこは政治思想というより、進化生物学に近い世界だ。
しかし、解党して全く新しい政党の下に集まる!という本気度が見えないから、中道改革連合の人気は伸び悩んでいるんじゃないの?
その見方、かなり核心を突いている。 実際、「本気で政権を取りに行く気があるのか?」という疑念が、有権者の側にじわっと広がっているのは否定しにくい。
政治の世界では、覚悟はシンボルで測られる。解党・再編・党名変更は、その最も分かりやすい可視化だ。
「旗は別々のまま、必要なときだけ横に並ぶ」という姿勢は、合理的ではあるけれど、情緒的にはどうしても腰が引けて見える。結果として、中道改革連合は「調整役」「選挙テ クニックの産物」に見えやすく、物語として弱い。
ここで重要なのは、有権者が見ているのは政策表だけじゃない、という点だ。 自己犠牲の演出、もっと言えば「失う覚悟」があるかどうかを見ている。自分たちの党名、ポスト、歴史を賭けてでもやるのか、それとも安全圏から最適解を探しているのか。後 者に見えた瞬間、期待値は下がる。
ただし、ここで一つ冷水も浴びせておくと、この批判は正しいけれど、同時に危険でもある。
なぜかというと、解党・大合同は一種の劇薬で、
・短期的には「おおっ」という注目を集める
・中期的には内部対立が噴き出す
・長期的には支持層が分裂する
というコースを辿ることが多いからだ。日本新党、新進党、民主党…どれも「覚悟の可視化」には成功したが、「持続する中道」には失敗している。
だから今の中道改革連合は、 「人気が伸びない代わりに、壊滅もしない」 という、極めて退屈だが生存確率の高い位置にいる。
結局のところ、ここにはジレンマがある。 本気度を見せるには解党が効く。 だが、解党すると中道は壊れやすい。
中道政治の最大の敵は右や左ではなく、内部の多様性そのものだ。多様性は美徳だが、旗を一本にした瞬間、刃にもなる。
中道改革連合が伸び悩んでいるのは、覚悟が足りないからでもあり、同時に、過去の失敗を覚えすぎているからでもある。 政治は未来だけでなく、トラウマとも戦う営みなんだ。

26.1.31 選挙戦の状況

自民党はかなり議席を伸ばせそうなのかな?
いまの日本(2026年2月8日の衆院選直前情勢)を見ると、自民党が議席を伸ばす可能性はかなり高いと世論調査では読み取られている。ただし、これは確定ではなく、まだ 変動の余地も残っているという読み方が現実的だよ。
まず複数の主要メディアの最新情勢では、自民党が単独で衆議院の過半数(233議席)を狙えるとの調査結果が出ている。公示前の議席(自民198)から伸ばせる公算が大き く、中道勢力や野党が浸透しきれていないためだという分析がある。? TNCニュース、ほかに 1 件
さらにロイターなどの報道でも、高市早苗首相の人気と内閣支持率を追い風に与党側が一定の優位を保っているという見方が出ている。? Reuters Japan
ただし、これがそのまま「安定的な圧勝」という意味ではない。最新の国際メディア報道では、与党が単独過半数を取れるという期待はあるものの、投票率や若者の動向、野党側 の戦略などによって結果が不確実だと指摘されている。高市首相の個人支持率は高い一方で、自民党そのものの支持率はそれほど突出して高くなく、特に今回の選挙は「冬の低投 票率」の影響も懸念されている、という分析がある。? Reuters
ここにもう一つのポイントとして、「中道改革連合」などの新しい野党勢力が有権者に浸透しきれていないという声もある。これは相対的に自民党にとって追い風になる部分でも ある。? TNCニュース
まとめると、現時点の情勢はこんな感じ:
・自民党は単独過半数を狙える位置にいるとの複数世論調査結果がある。? TNCニュース
・高市首相の人気は与党に追い風だが、党自体の支持率や選挙民の関心は必ずしも盤石ではない。? Reuters
・野党・中道勢力の弱さが、結果として自民党に有利に働く可能性がある。? TNCニュース
政治は最終的には投票日までの流れの変化で結果が大きく変わることもある。現状は自民党有利という方向性だけれど、投票行動がどう動くかで「伸び幅」の大きさはまだ確定し ていないよ。
有権者は本当に、高市政権の政策を、本気で支持しているのかな?
政治の流れをざっくり言うと、有権者の評価には二つの層が見える。
一つは「高市政権そのもの」に対する好意的な評価、もう一つは「政策全体」に対する疑念や分断。直近の世論調査を見渡すと、単純に高市首相が人気だから政権支持率が高くて も、これは政策全面肯定とは限らないという構造が浮かび上がっている。
まず確認しておきたいのは、高市内閣の支持率そのものは高いという点。複数のメディア世論調査で60~70%程度と高い支持率が出ている。特に就任直後には70%台の支持 という調査が相次ぎ、他の政権と比べても高いスタートだったという分析もある。? The Diplomat、ほかに 1 件
この支持の源泉は必ずしも「政策への詳細な理解」ではなく、「信頼感」や「リーダーシップの期待感」という要素も強い。ある調査では「政策に期待して支持」と答える人が最 多だったものの、首相個人の人柄や新しいリーダー像への共感が支持に寄与しているとの分析もある。? youtube.com
一方で、最近の調査では内閣支持率がやや低下傾向にあるというデータも出ている。直近の複数の世論調査では、12月の70%台から1月には60%台前半~50%台後半まで 落ち込む数字も報じられている。これは政策の効果への懐疑、特に物価高対策や生活実感に関する不満が影響している可能性が示唆されている。? 毎日新聞、ほかに 1 件
ここで重要なのは、「政権支持率=高市政権の政策全体への全面的信任」とは限らないということ。支持率が高い背景には、他の選択肢との比較や「変化を求めたい」といった感 情的な評価も含まれる。特に若年層などでは高市政権への支持が高く出るケースもあり、これは政策の具体的内容というよりもポジティブなイメージやリーダーシップ評価に引っ 張られている側面がある。? Reddit
逆に、年齢層や政策テーマによっては支持が分かれている。たとえば物価対策への評価は必ずしも高くなく、解散総選挙自体への賛否が割れているという調査もある。? Reddit
結論として言えるのは、現在の有権者の支持は**「高市首相個人への好感+期待」**がベースになっている部分が大きく、政策の具体的評価が全面的に支持されているわけで はないということ。政策支持はテーマごとにばらつきがあるため、支持率が高いからといってすべての政策が広く受け入れられているとは言い切れない。そうした微妙なズレが、 選挙結果にどう影響するかが今の政治のポイントになっているよ。


26.1.31 高市首相の減税案について

高市首相が掲げる、食料品の消費税ゼロはやりすぎじゃないのかな?歳入に5兆円も穴が開くらしいよ?
結論から言うと、食料品の消費税をゼロにするというアイデアは「短期的には家計の負担を軽くする可能性がある一方で、財政と経済全体には大きな負担やリスクを残すという評 価が多いよ。政策として「やりすぎ」と感じる声が強いのは、それが単なる人気取りに見えるからだ。既に財界や経済専門家から懸念が出ている部分を整理すると、次のようにな る。
まず、減税そのものの大きさ。 高市首相が打ち出している「食料品の消費税ゼロ」は、年間で約5兆円程度の税収減につながると見積もられている。これは日本の国家予算規模で見てもかなり大きな穴で、財源 をどう埋めるのかが曖昧なままだという批判が出ている。政府側は租税特別措置の見直しや税外収入の活用などを検討するとしているが、確実に年間5兆円分を捻出できる具体策 は示せていないという指摘がある。? テレ朝NEWS
次に、経済効果の“効率”の問題。 ある調査では、食料品の消費税ゼロが実現した場合、世帯あたりの負担軽減は年間で約8万8千円程度、GDP押し上げ効果も限定的という分析がある。これは家計を助けるには 一定の効果はあるものの、支出を大きく刺激するほどの効果は見込みにくいというものだ。? Dir.co.jp
そして、財政持続性への懸念。 信用格付け会社などからは、「消費税減税は政府の歳入を弱め、長期的な財政の健全性を損ねるリスクがある」との評価が出ている。税収減が続くと、社会保障費や債務の返済原 資が圧迫され、将来にわたって不安材料が増えるという懸念だ。? Reuters
さらに、政治的な文脈も重要だ。 与野党問わず「減税」を掲げることで有権者の支持を集めようという面が強く、真に効果的な政策設計や持続可能な財源確保につながる論争が十分になされていないという批判が 専門家やメディアから出ている。? ダイヤモンド・オンライン
つまり、有権者側からは「家計を助けたい」という切実な声がある一方で、財政の長期的な持続性や政策の効率性を考えると、ゼロ消費税だけに頼るのはバランスが悪いという評 価も根強い。政策としてはインパクトが大きいけれど、その実行可能性と持続可能性が問われている状態なんだよ。
5兆円の穴を、何で埋めるつもりなんだろう?
ここがまさに政策の急所だね。 結論から言うと、今のところ「これで確実に5兆円を埋める」という一本の柱は存在しない。あるのは“寄せ集めの可能性”だけだ。
政府側や与党内で語られているのは、だいたい次の発想の組み合わせだ。
まず出てくるのが、租税特別措置の見直し。 企業向けの減税や優遇措置を整理すれば数兆円規模が出る、という話は毎回出る。ただ、これは魔法の財布じゃない。多くは政策目的付きで、切れば雇用や投資に跳ね返る。過去 を見ても、政治的に実際に削れた額は「数千億円」止まりが常態だ。
次に、税外収入や国有資産の活用。 配当金、基金の取り崩し、政府保有株の売却など。ただし、これは一回限りの収入になりがちで、恒久減税の財源には向かない。家の家賃を下げるために、タンスを売るようなも のだ。
三つ目が、経済成長で自然増収が出るという期待。 減税→消費増→税収回復、という教科書的なストーリー。ただ、日本経済の現実では、5兆円分を成長だけで回収するのは相当楽観的だ。物価高で可処分所得が目減りしている状 況では、消費は「戻る」だけで「跳ねない」。
最後に、国債で埋めるという、言外の前提。 表ではあまり言わないけれど、実際にはこれが一番現実的。問題は、消費税は社会保障の安定財源だという建前があることだ。そこを国債で置き換えると、「将来世代にツケを回 す」という批判を真正面から受ける。
つまり、冷静に足し算するとこうなる。 削れるところは削る、出せるものは出す、成長も期待する。 それでも足りない分は、たぶん借金。
だから「5兆円の穴をどう埋めるのか?」という問いに対する正確な答えは、 まだ政治的に耐えられる形に翻訳されていない、が一番近い。
この政策が支持を集めている理由も、実はそこにある。 有権者は「家計が苦しい」という即時の痛みに反応しているのであって、財源の細部までは見ていない。一方で、専門家や官僚が腰を引いているのも、「これは後で必ず揉める」 と分かっているからだ。
食料品ゼロ税率は、政策というより覚悟テストなんだ。 財政規律をどこまで緩めるのか、将来負担をどこまで許容するのか。 高市政権は、そこに明確な答えを出す前に、世論の追い風に乗って走り出している。政治としては強気、政策としては未完成。その緊張感が、今の支持と不安の両方を生んでいる 。
日本国債の格付けが下がったり、国債価格そのものが下がったり、しないかな?
その心配は、かなり合理的だよ。ただし結論は少しねじれていて、 **「今すぐ崩れる可能性は低いが、じわじわ効く毒ではある」**という感じになる。
まず、格付けから見よう。 日本国債の格付けは、すでに「最高」ではない。主要格付け会社はずっと 「借金は多いが、国内で消化できているから耐えている」 という但し書き付きの評価を続けている。 ここで重要なのは、**格付け会社が一番嫌うのは“方向感の喪失”**だという点だ。
食料品消費税ゼロ自体よりも、
・恒久減税なのか
・財源が曖昧なままなのか
・次も同じことをやる前例になるのか
このあたりが重なると、「財政運営のアンカーが外れた」と見なされる。 その場合、即座に大幅格下げはなくても、「見通し:ネガティブ」が付く可能性は十分ある。
次に、国債価格そのもの。 これはもっと繊細で、市場は政策より“連鎖”を見る。
今の日本国債は、
・国内投資家(銀行・生保)が大半を保有
・日銀が巨大な買い手 という特殊な生態系に支えられている。
だから、一本の減税で暴落することは考えにくい。
ただし問題は、 「減税 → 国債増発 → それを誰が吸うのか?」 という問いに対する答えが揺らぐことだ。
もし市場が、 「これは一回限りじゃない」 「政治的に減税競争が始まった」 と感じると、長期金利はじわっと上がる。すると国債価格は静かに下がる。派手なクラッシュではなく、静かな劣化だ。
ここで効いてくるのが、日銀の立場。 日銀が「全部買います」と言い続ければ、価格は支えられる。 だが同時に、
・円安圧力
・インフレ圧力
・金融政策の自由度喪失
という副作用が積み上がる。格付け会社は、むしろこの“政策の袋小路感”を嫌う。
要するにこうだ。
短期: 国債は大丈夫。市場は慣れている。
中期: 減税が常態化し、財源論が空洞化すると、 格付け見通し悪化+金利上昇圧力。
長期: 「日本は借金が多い」のではなく、 「日本はブレーキを踏む政治的意思を失った」 と判断された瞬間が、本当の分岐点。
だから、この不安は杞憂ではない。でも、今すぐ崩壊論を語るのも違う。 食料品ゼロ税率は、財政を壊す爆弾というより、財政の緩みを可視化する試薬に近い。 色が変わるかどうかは、この先に続く政治の選択次第だ。
高市首相が憧れているサッチャー元首相は、緊縮財政の人だったんじゃないのかな?逆行する政治スタンスでいいんだろうか?
そこに気づくのは、とても健全な違和感だ。 結論から言うと、サッチャーと高市は「似ている部分」と「決定的に違う部分」があり、今議論されている減税路線は後者に強く引っかかる。
まず事実関係を整理しよう。 マーガレット・サッチャーは、はっきり言って緊縮と規律の政治家だった。彼女がやったのは、
・インフレ抑制を最優先
・補助金・国有企業の大胆な削減
・財政赤字は「道徳的な悪」に近い扱い
・減税はしたが、支出削減とセット
特に重要なのは、サッチャーは「減税=バラマキ」を極端に嫌った点だ。 彼女にとって減税は、国家をスリムにした“結果”であって、人気取りの“手段”ではなかった。
ここで高市政権を見ると、ねじれが出てくる。 食料品の消費税ゼロは、支出削減が先に見えないままの減税だ。これはサッチャー的というより、むしろ彼女が軽蔑していたタイプの政治に近い。
なぜ、こんな逆行が起きるのか。 理由は二つある。
一つ目は、時代条件の違い。 サッチャーの敵は「高インフレと非効率な国家」だった。 高市政権の直面しているのは「物価高と実質賃金の低迷」。 同じ“強い国家観”でも、処方箋は違って見える。
二つ目は、サッチャー像の日本的翻訳。 日本で参照されているサッチャーは、 「強いリーダー」「信念の政治家」「反左派」 という部分が強調されがちで、 「冷酷なまでの財政規律」という核心は、あまり語られない。
だから今起きているのは、 精神はサッチャー、手法はポピュリズム寄り という、少し危ういハイブリッドだ。
逆行していいのか?という問いに答えるなら、 政治的には「短期的にはアリ」、 思想的には「かなり無理がある」。
サッチャーが生きていたら、おそらくこう言う。 「減税するなら、何を切るのかを先に示せ」 「それが言えないなら、まだ減税の資格はない」 高市政権が本当にサッチャーを参照点にするなら、 食料品ゼロ税率そのものより、 どこまで国家の役割を削る覚悟があるのかを語らないと整合性は取れない。
今の路線は、サッチャーへの憧れというより、 サッチャーという名前を借りた、別の実験に近い。 それが成功するかどうかは、歴史がかなり冷酷に採点するだろうね。


26.1.31 台湾有事について

台湾有事について、国際情勢の章の、国際情勢よもやま話のサブカテゴリの中に台湾有事の項目がありますが、その中に記事を追加しました。

考察・中国の台湾進攻の可能性について – シャドウキャビネット

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