マルクス主義

マルクス主義、共産党の文脈ではマルクス・レーニン主義と言われることも多いようだが、みなさんはその中身をスラスラと説明できるだろうか?

私もキレイに説明できるとは言えないし、十分な解説をしようと思ったら本1冊ほどの文章量が必要になるかもしれない。ごく大雑把に振り返ってみたい。

マルクスは資本論の中身の大半を共産主義の説明というよりは、資本主義の分析に充てていると言う(私もしっかり読んだことはありません)。その分析の出発点は「労働価値説」である。つまり、商品の価値は、その商品の製造に投入された労働の量によって決まるというものである。例えば500円分の労働で生み出された商品はお店で500円で売れることになる。つまり労働者には500円の給料を渡し、お店では商品に500円の値段が付くわけである。ただしそのままだと、資本家の利益が無いので、資本家は好きに利益を上乗せするわけである。800円の値段にすれば資本家の利益は300円、1000円の値段にすれば資本家の利益は500円である。ただし1000円では売れない、800円に値下げしないと売れなかったとしても、労働者の給料を無理やり300円に下げてしまえば、資本家は800円の値段でも500円の利益を得ることができる。労働者は雇われている立場上、資本家に強いことは言いづらい。こうやって、商売の過程で労働者がだんだん経済的に不利な立場に追いやられることを、マルクスは労働者の「搾取」と呼んだ。また、現代の工場では労働者は末端の単純な労働に貼りつけられっぱなしのことが多く、なかなか自分の生産物に愛着が持てない。一日中金具留めしかしていないと、作られた自動車や家電製品に愛着が持ちにくいのではないだろうか?中世の職人が丹精込めて1着の洋服を作る、家具を作るのと比べると、現代の労働者の方が不幸せな状況に置かれているのかもしれない。こういう、労働者が生産物から精神的に切り離された状況のことをマルクスは「疎外」と呼んだ。

労働者は「搾取」され、「疎外」されている。徹底的に不利な状況に置かれ、社会の中で割を食っているのは労働者なのである。だからこそ資本家を倒して、労働者同士が集団で住みよい社会づくりを工夫できる世の中にしなければならない、これが共産主義の発想である。

また、これはマルクスというよりどちらかというとレーニンの発想だが、資本家は資源のある土地を求めて、また市場を求めて、自国の外へ外へ拡大していく傾向がある。これが平和的な貿易にとどまっていればいいのだが、歴史上往々にして、戦争という強制手段に訴えることもよくある。つまり資本主義の本性そのものが戦争につながりやすいということなのだ。これを帝国主義論という。だからこそ、国際的な平和を達成するためにも、世界的な共産主義革命が必要だと、生粋の共産主義者たちは主張するのだ。

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主流派経済学との対比

さっさと手のひら返しをするようで共産党の人には申し訳ないが、現代の経済学者の多くは、共産主義を過去の遺物のように見なしている。1870年代の「限界革命」以来、それまでの経済学は古典派、それ以降の経済学は新古典派と区分けされている。前者が商品の交換価値はもっぱらその生産に投下された労働価値によって決まるとしたのに対して、後者は価値の由来を需要側の限界効用に求めるのである。もっとザックリ言えば、現代の経済学においては需要曲線と供給曲線の交点で価格が決まるというのが常識だ。マルクスの商品価値説は古典派経済学のみに立脚したものだった。現代の主流派経済学はもちろん、新古典派経済学に基づいている。

ただ、マルクス主義そのものからは、現代においても様々な社会問題の解決のヒントを得ることができる、と主張する批評家も多い。マルクス主義全体を過去の遺物と決めつけていいのかどうかは、まだまだ検討を要する課題ではないだろうか。

おススメ文献:
「マルクスを再読する」的場 昭弘 角川ソフィア文庫

おススメ動画:
高橋洋一チャンネル第409回




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