民主党政権

民主党政権は2009~2012年にかけての政権であるが、短期間で政権担当能力を失い、また安倍政権時代に「悪夢の民主党政権」と悪口をたたかれていたことからも、マイナスイメージを持つ人も少なくないだろう。しかし大変な改革意欲に富んだ政権で、自民党政権下において問題とされてきたテーマに、真正面からいくつもメスを入れようと奮闘していたことは間違いない。

民主党のやりたかったことはあえて大雑把にまとめると

① 政府・与党一元化の改革を通じて政治主導の体制を作る

② 事業仕分けなどを通じて無駄な予算を削る

③ ②で生み出した財源をもとに、社会保障の拡充を図る

というものだろう。民主党は実際、これらの目標の下、次々に現実の行動に移しているのである。ここだけ見れば、目的意識も大変合理的だし、行動力もなかなかのものだと思う。

そして最終的に失敗と見なされた背景は、要するに上記の①と②がうまくいかなかったために、最終目標の③も中途半端になってしまったということだ。

民主党政権について検証すべきことは、私は今でも山ほどあると思っているが、ここは統治機構の章なのであえて①に重点を置いた説明を試みたい。

国会の章で説明してあるように、元々の自民党政権の統治機構においては、強力過ぎる与党の意向をスムーズに法案に反映するべく、「事前審査制」という慣行的な制度が長らく機能してきた。これが政府・与党の二元体制であると問題視されてきたのである。つまり国会のさらに上のような立場に、内閣とは別に与党が鎮座していたわけである。これを、「与党の内輪の会議は他所でやってくれ、フォーマルな権力トップ機構は内閣だけで十分だ」という問題意識の下で進めたのが、政府・与党の一元化だったのである。

鳩山政権が誕生して早々、事前審査制度は廃止された。その代わり、内閣の機能を強化するために、大臣の補佐役として副大臣・政務官という役職が新設された。さらに「官僚は一歩下がってくれ。政治のことは政治家が決める」という問題意識の下、事務次官会議が廃止された。そして各府省に「政務三役会議」を設置し、行政の指針は政務三役会議で決定して、あとは官僚組織はすべてその決定に従いなさい、という体制を作ろうとしたのだ。ところがこの体制だけだと、政務三役の性格・能力によって、その省庁の監督がうまくいくかどうかはかなり左右されてしまう。実際、頭ごなしに怒鳴りつけるような勢いで命令を下していた閣僚も散見されたらしい。ここでまず政治家と官僚のディスコミュニケーションが生じてしまうのだ。

また、事業仕分けはこれも政権が意欲満々で取り組み、派手に報道されたものの、思ったほどの無駄の削減ができなかった、埋蔵金は大して掘り出せなかった、と言われる。そもそも事業仕分け自体が官僚の財布に手を突っ込んで詮索することだし、ここでも官僚との信頼関係はかなり損なわれただろうと推測できる。また、ここに至るまで民主党政権が官僚の信頼を失っていたために、事業仕分けは本来削れる予算も削れなかったのではないか?と私は疑っている。

しかし結果的に、民主党政権は当初案の部分的な実施だとしても、子ども手当を実現させた。そして公立高校の無償化も実現させたのである。ここに至るまでの実効力はもう少し評価されるべきではないか?と思う。

ただその後、上記のような官僚とのディスコミュニケーションをはじめとした統治の稚拙さが反省され、野田政権の時期に事務次官会議は復活し、さらに事前審査制度も復活しているのである。

さらに民主党政権当初から提案されていた「国家戦略局」構想は、内閣官房内に国家戦略室を設けたまま会議を続けていたが、野田内閣において国家戦略会議という会議に統廃合された。しかしこれは実態としては自民党の経済財政諮問会議にかなり似たものだったと言われる。

つまり民主党政権は政権担当期間の終盤にかけて、事務次官会議、事前審査制、経済財政諮問会議など、自民党によく似た組織体に先祖返りしてしまったのである。これはある意味恐ろしいことではないだろうか?一見正義感にあふれて、自民党の病巣をえぐり出す、健全な統治機構に治療しなおす!と言っていたような政権が、数年で自民党体質に戻ってしまったのだ。それだけ、日本の政界には自民党体質になじんだ構造が根深く出来上がっているということだろう。再度、民主党のような統治機構改革のチャレンジをする必要はないのか?多くの国民が、もっと考えて然るべきことではないだろうか?






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